東アジア・中央アジア史 高校世界史

【世界史】中国史をマンガみたいに超速攻略!④魏晋南北朝編

この記事は約6分で読めます。

 

 

つづいて第4回、魏晋南北朝時代

 

三国のが成立してから、

あの「遣隋使」が中国を統一するまでの

第二次グチャグチャ時代です。

 

三国時代

 

後漢の末、張角という雷を操るおじさん⚡が

農民をひきいて黄巾の乱をおこします。

 

後漢はこの鎮圧のために豪族を利用としますが、

逆に豪族が力をもって自立しちゃったのです。

 

こうして三国志の時代が幕を開けました・・!!

 

・・・本当はここ、すごく面白いのですが、

本稿では高校世界史にでてくる部分だけ要約します。

 

マロ
マロ

詳しくはぜひ、

横山光輝『三国志』を読んでにゃ

勉強の良い息抜きになるにゃ

 

豪族たちは潰しあい、

やがて魏・蜀・呉の三国にまとまります。

 

マロ
マロ

一体どこが勝つんだにゃ

 

 

曹操が基礎をつくり、

子の曹丕が文帝として即位し、

をたてました。(都:洛陽

 

魏は九品中正という官吏登用制度をはじめました。

 

ヤマ
ヤマ

突然ですがここでヤマ・クイズ!

 

漢の官吏登用制度はなにでしょう

 

 

 

-----------------------

 

そう、郷挙里選ですね。

 

マロ
マロ

あやしかった人は前回をもういちど復習するにゃ

 

郷挙里選の問題点は、

豪族と地方長官とのズブズブ関係でした(いわゆる忖度)。

 

だから九品中正では、人物の評判をきめる人として、

中正官を中央から新たに派遣しました。

 

この九品中正はのちの南北朝時代まで用いられます。

 

ただやっぱり中正官も豪族とズブズブになり、

有力な豪族は高級官僚を独占する

門閥貴族に成長し、

 

「上品に寒門なく下品に勢族なし」

(=上級国民ばっかり栄えて、

その他はだれも栄えてないじゃないか!怒)

といわれるようになります。

 

また、荒れ地を国有にして、

そこの耕作権を農民にあげるかわりに、

作物の半分を巻きあげるという

屯田制をおこないました。

 

ヤマ
ヤマ

兵士が戦地で農作物をつくって

自給自足することも屯田制といいますが、

 

それはのころからはじまった軍屯

魏のは民屯です。

 

また、魏にはあの卑弥呼が朝貢しました。

 

 

『三国志』の主人公・劉備

諸葛亮にたすけられて建てたのが(都:成都)です。

ただし国力は魏の10分の1・・・

 

 

孫権が建てました(都:建業)。

建業は現在の南京市です。

ちなみに呉も民屯をおこないました。

 

晋(265~316、317~420)

 

魏は蜀を滅ぼしますが、

家臣の司馬氏に国をのっとられます。

 

こうして司馬炎がたてたのが(都:洛陽)です。

晋は呉も滅ぼしました。

 

つまり、三国のどこも天下統一できず

というまさかの結果に。

 

司馬炎(武帝)はまず、

占田・課田法という土地制度をはじめます。

 

そして、一族を王として力をもたせて各地におき

帝室のガードマンにしますが、

 

かえって皇帝の権力が弱まり

武帝の没後に、

王同士の争い(八王の乱)がおきます。

 

この八王の乱において、

王たちは兵力として遊牧民を利用しましたが、

 

一方で官僚たちは、

実際の役に立たないことばかり議論してました(清談)。

 

すると逆に、316年、利用していた遊牧民によって

晋は滅ぼされてしまいます(永嘉の乱)。

 

あわてて司馬睿しばえい

建康(かつての呉の建業)で晋を復興しますが、

支配できたのは中国の南半分だけ。

 

この弱体化した晋を東晋とよび、

かつての晋を西晋とよびます。

 

五胡十六国と南北朝

 

ここから、589年にが中国を統一するまで、

しばらく中国は基本的に

南北に分裂しつづけます(南北朝時代)。

 

マロ
マロ

春秋戦国よりはだいぶ短いにゃ

 

中国北部(華北)

 

中国の北半分はしばらく

五胡と総称される、

 

匈奴きょうどけつ鮮卑せんぴていきょう

 

という5つの異民族による、

主なものだけでも

16もの国の興亡がくりかえされます(五胡十六国)。

 

前秦が中国を統一しかけるも、

淝水ひすいの戦い東晋にやぶれて崩壊したり、

とにかくグチャグチャの時代でした。

 

ただ鮮卑拓跋氏たくばつしがたてた

北魏太武帝が、

ひとまず北半分(華北)は統一します。

 

孝文帝は戦乱で荒れた農村の復興(による税収の確保)のため、

均田制三長制をおこないます。

 

北魏の均田制は土地を農民にあたえるというものですが、

なんと奴隷や牛🐄にも土地をあたえたため、

その「持ち主」である豪族・貴族はますます強大化します。

 

マロ
マロ

マロももらえそうだにゃ

 

また孝文帝は中国支配をしやすいようにするため、

 

都を平城から洛陽にうつしたり、

鮮卑の姓・服装・言葉を禁止するなどの

 

漢化政策をおこないました。

 

洛陽といえば周・後漢・魏・西晋の都だっとところですね。 

 

このように、

中国はいつもいつも異民族にやられるものの、

 

そのつどブラックホールのように

異民族を中国・漢文化に吸い込む

不死身のごとき「しぶとさ」を持ってます。

 

しかし孝文帝の死後、

漢化政策への反発から反乱がおき、

 

北魏は東魏西魏とに分裂します。

 

西魏府兵制という兵農一致の兵制をはじめるも、

北周にとってかわられます。

 

北周は、東魏にとってかわった北斉を吸収して

華北を統一します。

 

まとめるとこうです。

 

北魏→東魏→北斉

       ↓

  →西魏→北周

 

これらをまとめて北朝とよびます。

 

中国南部(江南)

 

中国はこれまで、

北半分がメインで栄えていたのですが、

 

この時代には

異民族の北から漢民族の南へ

と人々が逃れていったので、

 

南の長江中・下流域がとっても発展し、

自由で優雅な貴族文化(六朝文化)も栄えます。

(そのぶん皇帝は弱かった。)

 

東晋の滅亡後、

劉裕がたてたをはじめ、

東晋とおなじく建康を都とする4王朝(南朝)がつづきます。

 

つまり、建業=建康を都とする6つの王朝として、

 

→②東晋→③→④→⑤→⑥

がつづきます。

 

これをまとめて六朝とよびます。

 

次号、隋・唐 世界帝国編!

 

マロ
マロ

何度も読み直しておぼえてにゃ

コメント

タイトルとURLをコピーしました