西欧史(英仏伊西蘭など)

【世界史】フランス史をマンガみたいに超速攻略!⑨斜陽のナポレオン編

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剥がれる英雄の仮面

  

身勝手の極み

  

英雄ナポレオンはやりたい放題の極みでした。

圧倒的な軍事的才能で、

その傍若無人ぶりを押し通せていたのです。

 

エジプトに何万人もの部下を置き去りにしたり、

ハプスブルク家と婚姻関係をもつために

奥さんと離婚💔したり・・

 

自分の人気確保のためにイギリスなど各地に侵略したのも、

思えばかなり自分勝手です。

 

マロ
マロ

なんて卑劣なんだにゃ

 

そんなナポレオンの卑劣さが経済面で現れたのが、

大陸封鎖令でした。

 

大陸封鎖令

 

ナポレオン👑は最後まで立ちはだかるイギリスを屈服させるため

ヨーロッパ大陸のあらゆる国に対して

イギリスや英領植民地との貿易・通信を禁止します(大陸封鎖令)(1806)。

 

当時イギリスは列国に先駆けて産業革命が進展しており、

大量生産された安価なイギリス製品

ヨーロッパ諸国に浸透し、

生活・産業に密着していました。

 

しかしそんな経済システムには、

ナポレオンはお構いなし。

 

このように、ナポレオンの都合のため

ヨーロッパ全土の経済を破壊したのが

大陸封鎖令なのです。

 

👑「イギリス圧迫できるし、

空いた大陸市場にフランス製品売りつけられるし、

一石二鳥だわ」

 

露普墺「イギリスから買えないのツラすぎ・・

フランス製品高いんだよなあ・・

でもナポレオンに目つけられたくないから逆らえないし・・

せめてウチの穀物はイギリスの代わりに買ってくれますよね・・?」

 

👑「いや、いらんよ。ウチ農業国だから自給できるし」

 

露普墺「・・・・・・やってられっか!!

 

反抗

 

皮肉アイロニー

 

自由・平等の精神のもと進展したフランス革命の結果、

ナポレオンの帝政は誕生しました。

 

しかしナポレオンが各地を征服した結果、

むしろその自由・平等の革命精神までも

征服地に広めてしまい

 

「ここは俺たちの国だ!ナポレオン帝国じゃねえ!」と、

ナポレオンに反抗するナショナリズムが高揚

してしまうという皮肉なことがおきました。

 

プロイセンの改革

 

ナポレオン支配下のプロイセンでは、

 

シュタイン・ハルデンベルクらが

農奴解放、都市自治といった改革を行ったり、

 

フンボルト教育改革をしてベルリン大学を創設したり、

 

フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」という講演で

ドイツ人のナショナリズムを鼓舞したりして、

 

ナポレオンに対抗しようと様々な改革を行いました。

 

スペイン

 

太陽王🌞以来ブルボン朝が治めていたスペインでは、

ナポレオン時代にはブルボン朝にかわり

ナポレオンの兄が王となっていました。

 

しかしここで大反乱がおき、

「半島戦争」(1808~1814)と称されるほどナポレオンを苦しめます。

 

ロシアの反抗

 

ロシアアレクサンドル1世は、

とうとう思い切ります。

 

ロシア穀物が売れず、

イギリスから生活必需品を買うこともできず困り果て、

 

とうとう大陸封鎖令を破り

イギリスとの貿易を再開したのです(1812)。

 

マロ
マロ

ナポレオンに逆らって大丈夫なのかにゃ・・?

 

ヤマ
ヤマ

もちろん無策でこんな反抗はできない。

ロシアには、あるとんでもない作戦があったんだ。

 

ナポレオン帝国の崩壊

  

ロシア侵入

 

反抗したロシアに対し、

ナポレオンはなんと60万もの軍勢を差し向けます(1812)。

 

天才が率いる大軍勢

真っ向から立ち向かっても勝てるはずがありません

 

そこでロシアは、

肉を切らせて骨を断つ作戦を断行します。

 

その作戦とは、以下の通りです。

 

まずロシア軍は、あえて戦闘を避け、

自ら穀物を燃やし建物を破壊しながら、

ロシア奥深くへと後退します。

 

これを追うナポレオン軍は、

モスクワを占領しました(1812.9)。

 

マロ
マロ

結局負けてるじゃないかにゃ!

 

ヤマ
ヤマ

いやいや、

実はこれがロシアの罠だったんだ

 

モスクワまで占領したはいいものの、

占領地はすでに焦土と化しています。

 

ロシアが極寒の国☃であることはナポレオンも知っていましたから、

ロシア侵入も夏に始まったのですが、

なにせ広-------いロシアでの戦いなので、

モスクワを占領した時点ですでに9月半ばでした。

 

そうです。

ナポレオン軍は意気揚々と進軍し、

ロシア奥深くまで侵入するうち、

ふと気が付けば

食糧も宿泊所もない極寒の陸の孤島

取り残されそうになっていたのです!

  

仕方なくナポレオンは、

ボロボロになりながら撤退しました。

 

こうしてロシアは、

その広大な領土と過酷な環境を利用した

焦土作戦冬将軍作戦☃とによって、

ナポレオン軍を破滅させたのです。

 

ヤマ
ヤマ

ちなみにナポレオンはこの撤退時も

軍を置き去りにして真っ先に帰還しました。

 

マロ
マロ

どこまでも卑劣だにゃ

 

ナポレオン帝国の崩壊

 

このナポレオンの大敗を機に

英・普・墺・露・スウェーデンは

第4回対仏大同盟を結成します。

 

大同盟軍の速攻にさすがのナポレオンも対抗できず、

ライプチヒの戦い(1813.10)

で決定的な敗北を喫します。

 

こうしてパリは同盟軍に占領され、

ナポレオンはエルバ島へと島流しされました。

 

ヤマ
ヤマ

ちなみにナポレオンさん、

同盟軍がパリを占領した後に、

息子に帝位を丸投げしようとしました。

 

マロ
マロ

・・・・・・

 

「百日天下」

 

フランスではルイ18世ブルボン朝が復活しますが、

あまりに反動的過ぎて、

国民から大ブーイングを食らっていました。

 

またナポレオン戦争後の講和会議である

ウィーン会議

 

「会議は踊る、されど進まず」

という言葉が残っているように、 

列国の利害が入り乱れて全く話が進みませんでした。

 

こうした鬱屈した状況のなか、

「私がきた」👑

とでも言わんばかりにナポレオンはエルバ島を脱出し、

あっという間にフランス帝位を取り戻します(1815)。

 

しかしながらナポレオンは、

新たに結成された第5回対仏大同盟

 

ワーテルローの戦いで敗れ(1815)、

 

今度は南大西洋の孤島セントヘレナ島

に監禁されてしまいました。

 

こうしてナポレオンのセカンドチャレンジは

「百日天下」に終わり、

 

結局セントヘレナ島にて

生涯を終えたのでした(1821)。

 

次号、フランス史⑩新時代開幕編!

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