西欧史(英仏伊西蘭など)

【世界史】フランス史をマンガみたいに超速攻略!⑧ナポレオン編

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今回はフランス史⑧

 

旧制度アンシャン=レジーム矛盾、フランス革命の泥沼化・・

 

これらの打破を一身に背負った

大英雄がいました。

 

それが、

ナポレオン=ボナパルト(1769~1821)です!

 

英雄ナポレオンの誕生

 

躍進

 

ナポレオンは天才でした。

 

陸軍士官学校を歴代最速で卒業した後、

1793年以降、実戦にて才能を存分に発揮します。

 

前回末に述べた王党派の反乱(1795)を鎮圧し、

 

またイタリアに遠征してオーストリアを追い詰めて

カンポ=フォルミオの和約をむすび(1797)、

 

なんと第1回対仏大同盟を崩壊させ、

北イタリアなどの領土までも獲得します。

 

こうして一躍国民的英雄となったナポレオンは、

つぎは海軍国イギリス🛥を潰すため、

 

イギリスとその植民地インドとの中継地である

エジプトへの遠征を行い、

エジプトを占領します(1798)。

 

挫折

 

しかし、直後に

ネルソン率いるイギリスとの間に起きた

アブキールの海戦(1798)

でナポレオンは完敗してしまいます。

 

この敗戦により、

イギリスに地中海の制海権を握られ、

対仏大同盟も復活します(第2回対仏大同盟)。

 

エジプトで孤立してしまったナポレオンは、

なんとフランス軍の大半を置き去りにして

側近のみを連れて命からがら脱出しました。

 

クーデタと統領政府

 

「英雄」ナポレオンは帰還後、

フランス国民に大歓迎されますが、

 

実はエジプトで処刑レベルの大罪を犯して帰ってきた

(ものの、それがまだ国民にバレていない)という

非常に危うい状態でした。

 

そこで、ナポレオンは

一発逆転の手を打ちました。

 

すなわち、

シェイエス・タレーランらと組んで

総裁政府をクーデタにより打倒したのです(ブリュメール18日のクーデタ)。

 

ヤマ
ヤマ

ちなみに、

シェイエスは

『第三身分とは何か』を書いた神父で、

 

タレーランは

もう少し後の時代にフランスを背負う男です。

 

こうして彼は

総裁政府を樹立し(1799)、

選挙により第一統領に就任して

独裁的権力を握りました。

 

「ナポレオンの平和」

 

独裁権を手にしたナポレオンは、

オーストリアとの戦争を再開します(1800)。

 

これにもナポレオンは勝利して、

第2回対仏大同盟を崩壊させ、

有利な講和をむすびます(1801)。

 

一方イギリスでは、

第1回対仏大同盟を主宰したピットが失脚したことで、

フランスへの態度も軟化し、

アミアンの和約をむすびます(1802)。

 

こうしてナポレオンは、

革命以来戦火の絶えなかったヨーロッパに

しばしの平和をもたらしたのです。

 

ナポレオンは、さらに、

革命以来険悪化していた教皇とも和解します。

 

マロ
マロ

教皇・・?

なんかあったっけにゃ?

 

ヤマ
ヤマ

革命以来、

特権階級としての聖職者の地位が下がっていて

聖職者の親玉である教皇にとっては、

それが面白くなかった。

 

また、ロベスピエールは

キリスト教廃止運動までやっていたからね。

 

和解の証として、

フランス国内でのカトリック復活を認める

宗教和約コンコルダート(コンコルダート)をむすびました(1801)。

 

革命の集大成

 

ナポレオンは国内の安定にも努めました。

 

まずフランス銀行を設立(1800)して

経済を安定させ、

 

また税制・教育制度・交通網なども整備しました。

 

そしてなにより、「ナポレオン法典」ともよばれる

フランス民法典を編纂しました(1804)。

 

これは

「法の前の平等」「私有財産の神聖不可侵」「国家の世俗性」

「信教の自由」「経済活動の自由」

などを規定した、

 

フランス革命の成果を保障する法典であり、

近代ヨーロッパ法の模範ともなりました。 

 

第一帝政

 

皇帝の誕生

 

ナポレオンはとうとう、

その絶大な人気をバックに

国民投票の形式で皇帝ナポレオン1世となり、

第一帝政が始まります(1804)。

 

しかしナポレオンの人気は、

戦争での勝利に支えられたものでした。

 

「戦争」という非常事態を打破する英雄だからこそ、

ナポレオンは人気だったのです。

 

ですから、ナポレオンはみずから

「ナポレオンの平和」を破り

再びヨーロッパに戦火を巻き起こしたのです。

 

大陸制覇

 

ナポレオンはまず、

イギリス侵攻を企てます(1805)。

 

これに対し、またまた対仏大同盟が組まれ(第3回対仏大同盟)、

復権したピット率いるイギリスと激突します。

 

しかしナポレオンは

トラファルガー沖の海戦(1805)で再びネルソンに敗れ、

イギリス攻めは失敗します。

 

一方、陸上においては、

アウステルリッツの三帝会戦(1805)

オーストリア・ロシアに勝利し、

ヨーロッパ大陸の覇権を握ります。

 

これにより、第3回対仏大同盟も崩壊しました。

  

マロ
マロ

ナポレオンは陸上戦は得意で、

海上戦はニガテなんだにゃ

 

さらに南ドイツの諸邦をライン同盟により傘下に置きます(1806)。

 

こうして、のらりくらりと生き延びていた

あの帝国の息の根を止めました。

すなわち、

神聖ローマ帝国を名実ともに消滅させました(1806)。

 

さらにプロイセン、ロシアを続々と破り、

ティルジット条約を両国とむすんで(1807)、

 

プロイセンには国家崩壊レベルのダメージを課し、

ロシアは自分の手先のごとく従わせつつ、

 

普露墺に分割され消滅していたポーランド

ワルシャワ公国として復活させます(ただしフランスの衛星国として)。

 

こうしてナポレオンは、

英・露(既にダメージ大)・オスマン・スウェーデンを除く

ヨーロッパの大半を瞬く間に制覇してしまいました。

 

彼は一族を支配地の王としたり、

各国旧来の王族と婚姻関係をつうじて結束したり、

地盤固めも怠りませんでした。

 

マロ
マロ

ついこの間まで存亡の危機だったフランスを

たった数年でここまで拡大させるとは・・

 

ナポレオン・・やはり天才だにゃ

 

次号、残された最後の強敵!大英帝国と冬将軍編

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