西欧史(英仏伊西蘭など) 高校世界史

【世界史】フランス史をマンガみたいに超速攻略!④ヴァロワ朝後期とブルボン朝前期

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さあ今回はフランス史の第4回です。

 

揺れ動くフランス

 

王権の拡大

 

フランスでは、

シャルル7世主導で百年戦争を戦い抜き、

イギリスからヴァロワ朝フランスを守り切って以来、

官僚制・常備軍の整備などを伴い王権が強化されます。

 

要は

フランス王>諸侯など

の状態から、

フランス王>>>>諸侯など

という状態へ移ったのです。

 

イタリア戦争(1494~1559)

 

イギリスを駆逐し、国内で権力を伸ばしたフランス王は、

さらに国外への拡大を図ります。

 

目を付けたのは、イタリアでした。

 

当時のイタリアは

ヴェネツィア・フィレンツェ・ミラノ・教皇領

などの中小国家が割拠する分裂状態だったのです。

 

今がチャンス!とイタリアを狙うフランス。

しかしそこに立ちはだかったのが、

ハプスブルク家でした。

 

マロ
マロ

国VS家??

つまり・・どういうことだにゃ・・?

 

ヤマ
ヤマ

ハプスブルク家はただの名家じゃない。

色々な国の王位を政略結婚などを駆使して

兼務していたのです。

 

ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世

選挙で神聖ローマ皇帝カール5世(位1519~56)となると、

彼はイタリアに侵攻(1521)、

本格的にイタリア戦争が始まります。

 

ただ、このカール5世は

ハプスブルク家の絶頂期を実現した男です。

フランスは敗れ

 

フランス王アンリ4世とスペイン王フェリペ2世

とが結んだカトー=カンブレジ条約(1559)により、

 

イタリアにおけるドイツの優位が確立、

フランスはイタリア支配を諦めました。

 

ユグノー戦争(1562~98)

 

一方このころ、もう一つ勢いを増していたのが

キリスト教の改革派・カルヴァン派です。

 

これが知識人・市民・貴族らに徐々に広まり、

ユグノーと称されるほどの勢力となりました。

 

そしてついに1562年、

旧教(カトリック)VS新教(カルヴァン派のユグノー)の内乱

であるユグノー戦争(1562~98)が勃発しました。

 

このとき、ほくそ笑んでいたのが

カトリーヌ=ド=メディシスです。

 

彼女は幼少の王シャルル9世の母として

実権を握っていて、

新旧の対立を利用して

王権を伸張させようとしたのです。

 

こうしてユグノー戦争の最中、

1572年にはカトリーヌの謀略により、

旧教派が新教派を大量虐殺した

サン=バルテルミの虐殺がおこりました。

 

やがて、

新教派・旧教派のそれぞれの国外勢力をも巻き込んで

混乱は拡大します。

 

ついには国王アンリ3世が暗殺されてしまい、

ヴァロワ朝は断絶しました(1589)。

 

つづくブルボン朝のアンリ4世は

 

①もともとプロテスタント(新教)でしたが

即位時にカトリック(旧教)に改宗し、

 

ナントの王令(1598)で

ユグノーに信仰の自由と市民権を認めました。

 

このように新旧両派に寄りそった王の力により

とうとう何十年もの内乱(ユグノー戦争)が終結し、

王権はますます強大となりました。

 

ブルボン朝と絶対王政の成立

 

アンリ4世(1589~1610)

 

アンリ4世は新旧両派を共存させつつ、

内乱で荒廃したフランスの再建につとめ、

財務官シュリーに財政・農業を立て直させました。

 

ルイ13世(1610~43)

 

つづくルイ13世

宰相リシュリューに貴族・ユグノーを抑えさせ、

全国三部会の招集もやめて、

専制的な絶対王政を確立しました。

 

また三十年戦争(1618~48)にも

反ハプスブルク勢力として参戦しました。

 

ルイ14世(1643~1715)の時代

 

宰相マザランの時代(1643~1661)

 

つぎのルイ14世は幼少のため

宰相マザランが実権を握ります。

 

マゼランは貴族・高等法院によるフロンドの乱を鎮圧して

貴族を無力化し、王権を盤石にします。

 

また三十年戦争後のウェストファリア条約

アルザスとロレーヌの一部を獲得し、

ハプスブルク家の弱体化にも成功します。

(このときカルヴァン派も国際的に公認させました)

 

親政の開始🌄

 

マゼランの死(1661)後、

ルイ14世は自ら政治を行うようになります。

 

ヤマ
ヤマ

治世なんと70年以上のルイ14世期は、

ここからが長いです

 

ルイ14世は

「王権はけられたものであり、

国民は絶対服従すべきだ!!😤」

という王権神授説を唱え、

「朕は国家なり😤」と称します。

 

官僚制・常備軍(王の手先😤)を拡充し、

無力化した貴族も王宮に仕えさせます。

 

「太陽王🌞」と称されるほどの

絶大な権勢を誇りました。

 

フランス重商主義

 

そんな🌞にもある悩みがありました。

それは

🌞「あれ、官僚制・常備軍、お金かかりすぎ・・」

というものです。

 

そこで🌞は

商工業が伸びれば、そのぶん税金もたくさん取れるだろう!」

と考え、

 

財務総監コルベール

「コルベール主義」とよばれる

フランス独特の重商主義をすすめさせ、

王権の財政基盤の確保を図りました。

 

その「コルベール主義」とは、

金銀の貯蓄こそが経済繁栄だ

という重金主義を根本とします。

 

そしてその手段として

①輸出増と輸入減(つまり貿易黒字により金銀ゲット)

②植民地獲得(つまり市場や資源をゲット)

という方法がとられました。

 

輸出増・輸入減

 

①としては、

特権的な王立マニュファクチュアを設立したり、

保護関税政策を行ったりして、

輸出産業の育成や、輸入の抑制と国産化

を図りました。

 

ちなみに、このように貿易黒字を重視する考え方を、

貿易差額主義といいます。

 

植民地獲得

 

また②としては、

フランス東インド会社を再建(1664)して

インドのポンディシェリシャンデルナゴル(1674)、

北米のルイジアナ植民地を確保しました。

 

とくに北米・インドを巡るイギリスとの戦いである

英仏植民地戦争(第2次百年戦争)が、

ウィリアム王戦争(1689~98)、アン女王戦争(1702~1713)など

長年にわたって継続されることとなります。

 

また、貿易にも植民地獲得にも必要な

造船・海運

も振興しました。

 

暗雲🌥

 

しかし🌞、ここで大ポカをやらかします。

それがナントの王令の廃止(1685)です。

 

これにより、商工業者の中心だったユグノー

イギリスなどに亡命してしまい、

フランス経済は大打撃を受けました。

 

結局17世紀フランスはたいして発展できず、

ライバルのイギリスに後れを取ってしまいました。

 

文化

 

一方文化面では

🌞の派手好きが功を奏し、

古典主義文化の最盛期を生み出します。

 

🌞は華麗なヴェルサイユ宮殿を造営し、

サロンをつくって文芸を奨励しました。

 

こうしてフランスはヨーロッパ文化の中心となり、

フランス語はヨーロッパ上流階級の共通語となりました。

 

あいつぐ侵略戦争

 

🌞はコルベール主義で稼いだお金で

どんどん軍拡をおこない、

フランス軍をヨーロッパ最強にまで育てました。

 

そして🌞お得意の理屈による正当化(自然国境説)のもと、

つぎつぎと侵略戦争をおこないます。

 

自然国境説と3つの戦争

 

自然国境説とは、要は、

「あのライン川は自然が定めた境界だ。

だからライン川からこっち側は俺によこせ!!」

という🌞のこじつけです。

 

🌞は英仏百年戦争と連動する形で、

 

南ネーデルラント戦争(1667~68)

オランダ戦争(1688~97)

ファルツ戦争(1688~97)

 

を次々と行い

スペイン領ネーデルラントオランダに侵略しましたが、

結局イギリスなどに阻まれました。

 

マロ
マロ

ちょっと待つにゃ

ファルツ戦争とウィリアム王戦争、

時期が被ってないかにゃ?

 

ヤマ
ヤマ

そこに気づくとは・・

やはり天才猫だね

 

その通り。

ファルツ戦争とウィリアム王戦争とは

並行していた。

 

英仏百年戦争はこのように、

ヨーロッパでの戦いと植民地での戦い

並行する形で進んだんだ。

 

スペイン継承戦争(1701~1713)

 

🌞が孫のフェリペ5世をスペイン王としたことで、

フランスVSイギリス・オーストリア・オランダ

スペイン継承戦争がおきました。

 

結果、ユトレヒト条約により、

フェリペ5世の王位継承が認められましたが、

 

フランス・スペインの合併が禁じられたうえ、

 

イギリスはジブラルタル、ミノルカ島をスペインから、

北米のハドソン湾地方、ニューファンドランドをフランスから

獲得しました。

 

マロ
マロ

なんで北米の領土を得たんだにゃ?

は!まさか・・!

 

ヤマ
ヤマ

勘がいいね。

そう、

スペイン継承戦争と並行して

北米でも英仏間でアン女王戦争が行われていたからだよ。

 

ファルツ戦争とウィリアム王戦争との関係と同じだね。

  

つづくラシュタット条約(1714)では

南ネーデルラントのほか、

イタリアのナポリ、ミラノ、サルデーニャ

をスペインからオーストリアに割譲することとなりました。

 

こうして勢力を後退させた🌞は、

あいつぐ戦争による財政難にも苦しみつつ、

生涯を終えました。

 

次号、フランス編⑤革命勃発編!

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