さあ今回は中世ヨーロッパ屈指の大戦争
英仏百年戦争(1339~1453)を攻略しましょう。
前期百年戦争
背景
まず押さえてほしいことがあります。
それは、今でこそ英仏は海を隔てた国ですが、
中世においては、
イングランド王が現在のフランスに広大な領土をもっていた
ということです。
最盛期にはなんとフランスの西半分を
領有していました。

マロは前回学んだにゃ
イギリスは失地王ジョンのせいで
この大半を失ったんだにゃ
とはいえイギリスはその後もギュイエンヌを確保し、
フランスの首根っこをつかみながら、
常に虎視眈々とフランス支配をもくろんでいたのです。
こうしたなか特に激しかった対立が、
前回のフィリップ4世✨の節でも話した、
イギリスと関係が深く、
毛織物産業が盛んなことで豊かでもある
フランドル(フランス北部)の支配を巡る対立
でした。
契機
そんな折、フランスでは、
断絶したカペー王家にかわり、
フィリップ6世がヴァロワ朝(1328~1589)をはじめます。
かねてからフランスは、
目の上のたんこぶのイギリスを
大陸から締め出したいと思っていましたが、
このころちょうどイギリスのエドワード3世は
スコットランドとの争いに夢中でした。
そのスキをつこうとフィリップ6世は
ギュイエンヌの没収を宣言します。
これに対しエドワード3世は
フィリップ6世即位時にも主張していた
自身のフランス王位継承権を再び主張し、
さらにフランスに侵攻します。
こうして勃発したのが、
百年戦争(1339~1453)です。

ちょっと待ってにゃ!
イギリス王がフランス王位継承権を主張‥!?
つまり・・どういうことだにゃ・・?

そもそも当時のイギリスは
実はフランス人王朝だったのです。
というのも、プランタジネット朝イギリス(1154~1399)は
フランスに割拠するアンジュー伯が
ヘンリ2世と称して始めたものなのです。
その子孫としてエドワード3世も
フランスの伯を兼務していたのです。
一方フィリップ6世もヴァロワ伯として
王位を継承したにすぎません。
こうしてエドワード3世も、
フィリップ6世即位時にも
自身の王位継承権を主張していました。
(しかしこのときは取引により撤回)
つまり、
イギリス国VSフランス国というよりは、
フランス諸侯同士の争い
といったほうが適切なのです。
そもそも「国家」という概念自体、
はっきりと意識されるようになったのは
近代になってからでした。

なるほど
「イギリス国」が「外国」のフランスに侵略していった
という構図ではなく、
フランスの伯+フランス伯領イギリスVS残りのフランス
という
フランス同士の戦いってことだにゃ
展開
戦場はつねにフランス🥖でした。
そしてつねにイギリスが優勢でした。
クレシーの戦い(1346)でもイギリスが勝ち、
とくにエドワード3世の長男にして戦争の天才
イギリスのエドワード黒太子が大活躍し、
ポワティエの戦いでついに
フランス王ジャン2世を捕らえました。
さらにフランスに追い打ちをかけたのが、
ペストの大流行(1347~48)でした。
こうしたなかフランスでは、
パリ市民の反乱にくわえ、
荒廃と重税とに苦しむ農民・手工業者の反乱(ジャックリーの乱)
が1358年に続発しました。
ただこの大ピンチに出現したのが

マロに言わせるにゃ!!
ジャンヌ=ダルクだにゃ
いや、それはまだ先のこと。
フランスを救ったのは、
囚われの王にかわり民を率いた
王子シャルルです。
シャルルは大大大奮闘し、形勢を大逆転させ、
ついにフランス王を奪還します。
のちシャルル5世として即位し、
なんと失地の大半を回復して
「賢王」と称えられます。
一方イギリスでは、
戦費調達のための徴税に対する反乱
ワット=タイラーの乱が
ワット=タイラーやジョン=ボールの指揮下、勃発します。
後期百年戦争
休戦
しばらくのあいだ
イギリス・フランスとも内紛で忙しくなり、
しばしの休戦状態となります。
その間、イギリスではリチャード2世が追放され、
ヘンリ4世のランカスター朝(1399~1461)
が取って代りました。
再開
先に内紛をおさめたイギリスのヘンリ5世は、
内乱中のフランスに侵攻します(1415)。
フランスはアザンクールでボロ負けし、
ついにヘンリ6世が英仏両国の国王に即位します(1422)。
彼はフランス南部に残るヴァロワ家領にも侵攻し、
要衝のオルレアンを包囲しました(1429)。
打破
ここで彗星のごとく現れたのが、
あのジャンヌ=ダルクなのです。
「神の声を聴いた」という彼女の活躍により、
オルレアンは解放され、
フランス軍は一気に北上します。
その勢いでヴァロワ家は
再びの仏王位継承を宣言しました(シャルル7世)。
その後まもなくジャンヌ=ダルクは
イギリスに捕縛・処刑されてしまうのですが、
シャルル7世(位1422~61)は
首都パリやギュイエンヌをつぎつぎと奪還し、
ついにカレー🍛以外の全国土からイギリスを駆逐しました。
こうして1453年、
長きにわたる百年戦争は終結したのでした。

奇しくもこの1453年は
あのビザンツ帝国の滅亡年でもあります。
そうしたことから、この1453年が
中世と近世との境目とされることもあります。
それぞれ
フランスのシャルル7世は
官僚制・常備軍(ともに王の手先)をととのえつつ、
大商人ジャック=クールら上層市民を利用して
諸侯を抑圧し、王権を強化します。
こうしてフランスは
中世の分権的・封建社会から、
近世の集権的・絶対王政へと移行してゆくのです。
一方イギリスは、
百年戦争終結直後から
王位継承をめぐる大内乱のバラ戦争がおこります。
くわしくはイギリス史を確認してください。
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