さてフランス編🥖の第2回です。

今度こそ“読めた”にゃ!!
カール大帝が分割相続をやめて、
帝国は安定したんだにゃ

え、分割相続はふつーに続いたよ。

・・・・・・・・・・・・
フランク王国の分裂
相変わらず分割相続の慣習を維持していたフランク帝国は、
たまたまカールの第1子・第2子が故人だったために
運よく単独相続できたルイの死後、
案の定ヴェルダン条約(843)により
3つに分裂します。
こうして
ロタール(ルイの長男)は帝位・中部フランク・北イタリア
ルートヴィヒ(ルイの3男)は東フランク
シャルル(上二人の腹違いの末弟)は西フランク
をそれぞれ継承しました。
しかし争いはこれで終わらず、
ロタールの死(855)後に争いが再燃し、
メルセン条約(870)により
中部フランクは東西フランクに併合されました。
こうして現代の
イタリア・ドイツ・フランス
の基礎ができたのです。
西フランク
フランク帝国から分離してできた
現在のフランス🥖の原型が
西フランクです。
この国はメルセン条約(870)のころには
すでに乱れ始め、
とくにノルマン人の侵入
に悩まされました。
885年には、
ロロ率いるノルマン人により
パリを包囲されてしまいました。
これを何とか乗り切ったカロリング朝ですが、
その約100年後には断絶してしまい、
かわりに有力者の
パリ伯ユーグ=カペーが即位して
カペー朝(987~1328)を開きます。
カペー朝
せっかく開幕したカペー朝ですが、
有力諸侯のなかから選挙で王に選ばれただけで、
とても圧倒的な力などは持っておらず、
いち有力諸侯ほどの力にすぎませんでした。
そのため、出だしから一貫して諸侯の勢力が強く、
王権の弱い分権的な国のままでした。
さらに、
フランス領の西半分は
イギリスのプランタジネット朝に領有され、
フランス王領はごく狭く、
フランスはまさにイギリスに併合されそうになっていました。
フィリップ2世(位1180~1223)
そんなときに産声を上げた👶のが、
「尊厳王」とよばれるフランス屈指の名君
フィリップ2世です。
彼は
①権力②領土
の2つを強大化させました。
まず①はすなわち中央集権化です。
官僚(皇帝の手先)制の整備にくわえ、
都市を味方につけて諸侯をけん制(敵の敵は味方理論)
することにより、
王権を強化しました。
②としては、
・イギリスの恥こと欠地王ジョンから
ゴッッッッソリフランス西半分を奪還
・南フランスの異端カタリ派を征伐するために
教皇が派遣したアルビジョワ十字軍に加勢(することで
フランス王権拡大に利用)して、南フランスへ拡大
という事績をのこしました。
こうして、フィリップ2世以降1世紀のあいだ、
フランスはヨーロッパの中心的存在となるのです。
ルイ9世(位1226~70)
フィリップ2世が「拡大」したフランスを
ルイ9世は「安定」させることにつとめ、
フランス国内のみならず
ヨーロッパ全体をも平和へと導きました。
しかし彼は「聖王」と称されるほどキリスト教に熱心で、
そのあまり第7・8回十字軍を立て続けに起こしますが、
ボロ負け・莫大な戦費・自らも捕虜に
という散々な結果となり、
結局十字軍として出兵中に没しました。
フィリップ4世(1285~1314)
フィリップ4世といえばやはり、
「端麗王」と称されるほどの超絶イケメン✨だったこと
ではなく
フランス身分制議会のはじまりとされる
三部会の招集をしたことです。

なるほど、イケメン✨なうえに
先進的な王だったんだにゃ
いや・・・そういうわけではなく・・・
毛織物産業で豊かなフランドル地方を✨が欲しがる
➨✨はイングランド王エドワード1世とフランドルを争う
➨戦費💰がどんどん膨らむ
➨戦費捻出のためフランスではじめて全国的に課税
臣下「教皇うるさいし、聖職者からは課税しないほうが・・」
✨「いや、いけるっしょ」
➨教皇ボニファティウス8世😤(教皇至上主義😤)「許せん!!」
➨✨「教皇😤うるさいから国民みんな説得して味方に引き込むわ」
こうして✨は説得のため
聖職者・貴族・平民の代表からなる三部会を招集し、
課税のかわりに得られるフランス国益をアピールして
国民からの支持を得たのでした。
国民👪「うおおおお!!フランス万歳!ローマ教皇なんて知るかよ」
😤「ブチッッ!!✨なんか・・!!破門じゃ!!!!!!」
✨「は??悪徳教皇め!捕えてやる!」
こうして起きた教皇捕縛未遂事件を
アナーニ事件とよびます。
前代未聞の辱めに激高したボニファティウス8世😤は
憤死してしまいました。
新教皇クレメンス5世はもはや✨の言いなりで、
✨はローマ教皇庁を
フランスのアヴィニョンに移し、
教皇権をフランス王権の監視下におきました(「教皇のバビロン捕囚」)。

なるほどにゃ・・・
それにしても、✨はなんで
「全国課税いけるっしょ」
と考えたんだにゃ?
これまではヨーロッパ中で普遍的な権威を誇った教皇は
相次ぐ十字軍の失敗などにより失墜しておりました。
「権威の切れ目が縁の切れ目だ」と
✨は伝統的にフランスと仲良しだった
教皇とのつながりを断ち切ったのです。
こうしてフランスに隆盛をもたらした
フィリップ2世・ルイ9世・フィリップ4世✨
は、中世フランスの三大名君と称えられるのです。
しかし・・
✨が遺したイングランド王との領土問題が
のちにとんでもない大波乱を招くこととなるのです。
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