西欧史(英仏伊西蘭など) 高校世界史

【世界史】フランス史をマンガみたいに超速攻略!①フランク帝国編

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ヤマです。

今回はフランス編🥖です。

 

他編のおさらい

 

未開の地であったフランス(ガリア)は、

ローマのカエサルによって征服され、

ローマ帝国に組み込まれます。

 

そして帝国崩壊民族大移動を経て、

 

西ゲルマンのフランク人

メロヴィング家クロ―ヴィスにより統一され、

フランク王国が生まれたのでした(481)。

 

メロヴィング朝(481~751)

 

クローヴィス(位481~511)

 

クローヴィスはガリア全域まで勢力をひろげ、

ゲルマン国家最強の東ゴート王国

と並ぶまでにフランク王国を成長させました。

 

またクローヴィスはある先進的な政策を行いました。

 

それは、

アタナシウス派キリスト教への改宗

です。

 

ゲルマン人の大移動編で説明したとおり、

ゲルマン人「異端」のアリウス派を信仰していて、

ローマ=カトリック教会と対立していました。

 

そのなかでクローヴィスが

「正統」のアタナシウス派に改宗

したことで、

 

ローマ=カトリックおよびローマ系住民

との関係が円滑化されたのです。

 

王朝の分裂

 

せっかく強大化したフランク王国ですが、

分割相続制をとったことが仇となります。

 

嫡子が総どりするならば

「王国」としての力は維持されますが、

(そのぶん嫡子以外は取り分ゼロ

 

何人もの継承者に平等にバラバラに国を分割して相続させていては、

どんな強大国だろうと何世代も経れば

たくさんの小国にバラバラに分かれてしまいます。

 

こうしてメロヴィング朝フランク王国は

分割相続による分裂→小国同士の争いにより統一→分割相続による分裂→・・・

というサイクルを経たため、

 

 

毎度毎度の統一争いによる疲弊

メロヴィング朝のパワーはどんどん低下しました。

 

宮宰の台頭

 

こうして王権が低下する一方、

実権を握ったのは宮宰という国のナンバー2

でした。

 

なかでもカロリング家のピピン(中ピピン)は躍進します。

 

その子カール=マルテル

イスラーム西ゴート王国を滅ぼした勢いでさらに侵入してきた)

トゥール・ポワティエ間の戦い

で撃破します。

 

外敵の脅威からヨーロッパを救った

カロリング家の権威は絶大になりました。

 

ところが・・

 

マルテル「いやーさすがに宮宰が王位を奪うってのはなあ・・

もうちょい権威があればいいんだけど」

 

ローマ教皇「北のランゴバルド王国こわすぎ・・

やつらが本気で南下してきたら👼だよ。

だれか強い人が保護してくれたら

権威づけくらいしてあげるのに」

 

マルテル・教皇「あっ」

 

というわけで、

マルテルの子ピピン(小ピピン)が

フランク王位をクーデタで奪いカロリング朝をはじめると(751)、

教皇はこれを祝福します。

 

おかえしにピピンはランゴバルド王国を攻め

奪った領土を教皇領として

プレゼントしました(「ピピンの寄進」)。

 

カロリング朝

 

マロ
マロ

なるほど、読めたにゃ!

カロリング朝は分割相続をやめて

繁栄するという流れだにゃ・・?

 

ヤマ
ヤマ

ところがどっこい、

小ピピンは2人の息子に国を二分して継承させたんだ

 

マロ
マロ

・・・・・・

 

ただ、たまたま2子のうち一人が

継承後すぐに亡くなったため、

 

もう一人の継承者、カール1世(シャルルマーニュ)

全フランク王国を統一支配することとなりました。

 

このカール1世こそが、

のちにカール大帝とよばれる

世界史屈指の英雄です。

 

ヤマ
ヤマ

「1世」と名がつく人は、

たいがいスゴイ人たちです。

 

のちの王位継承者が

「この先代の名前を継ぎたい!」

と望んだのですから。

 

それに引きかえ、

イギリスの「欠地王」ジョン

なんて悲惨なものです・・・

 

「ジョン」なんていうありふれた名前が

継承されていないのですから・・・

 

カール1世(768~814)

 

拡大

 

カールはまず、

仲良しの教皇を圧迫していた

イタリアのランゴバルド王国を滅ぼします(774)。

 

そして中部イタリアを教皇領としつつ、

北イタリアを併合しました。

 

さらにさらに

 

東方のバイエルン公国の併合(788)

 

東方のスラヴ人・アジア系アヴァール人の地の併合(791~)

 

イベリア半島のイスラームから領土を取り、

のちのスペイン辺境伯領を設置(795)

 

北方のサクソン人の征服(804)

 

という怒涛の快進撃により、

一代にして西ヨーロッパの主要地を統一し、

 

とうとうあの

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)と伍するまでに

フランク王国を強大化させました。

 

マロ
マロ

カール・・ここまでとは・・

大した漢だにゃ・・

 

西ローマ帝国の「復活」

 

~ある日の中世ヨーロッパ~

 

教皇「仲良しのカールがローマ皇帝になってくれれば

ワシも安泰なんだけどなあ」

 

カール「やべ領土ひろげすぎた・・

「ローマ皇帝!」みたいな権威があれば

上手いこと治められる気がするんだけどなあ」

 

教皇・カール「あっ」

 

というわけで、

 

教皇レオ3世は800年のXmas🎄に

ローマのサン=ピエトロ大聖堂にて

カールにローマ皇帝の冠を授与👑しました(カールの戴冠たいかん)。

 

ここに、形式的には

今は亡き栄光の西ローマ帝国が復活したのです。

 

しかしこれが気に食わなかったのが、

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)です。

 

東西ローマの間に緊張が走りますが、

カールはここで、イスラームを利用します。

 

すなわち、

イベリア半島~北アフリカ~アラビア半島~インダス川

までを領域とする

ケタ違いの超巨大帝国アッバース朝

ハールーン=アッラシードと提携し、

ビザンツ帝国に対抗したのです。

 

こんな超大型巨人に踏み荒らされてはたまらん!と

ビザンツは苦虫を嚙み潰しながら

カールの帝位を承認しました。

 

行政

 

カールは国王直属・世襲禁止

各地の統治を任せます。

 

カールは徹底していて、

抜き打ちで巡察使を派遣し、

伯が悪だくみしていないかを監督させました。

 

世襲もできず、巡察使がいつくるかも分からない

という中で伯に力をもたせず、

カールだけに力を集中させようとしたのです(中央集権化)。

 

ただ、もともとカールが腕っぷしで

いろんな民族を寄せ集めて帝国化させたという経緯からして、

 

いかにカール大帝が中央集権化を図ろうと、

国内は分権的にならざるを得ませんでした。

 

文化

 

カールは教皇と仲良しにしていることからもわかるように、

キリスト教を帝国統治に利用

しました。

 

そこで、聖職者の資質を高めようと、

 

聖職者の学校を建てたり、

聖職者の教養を高めるために

古典文化研究を振興したりしました(文教政策)。

 

じつは自分自身は読み書きができなかったカールですが、

のちにカロリング=ルネサンスとよばれるほどに

古典文化を興隆させました。

 

次号、フランス編② フランク王国分裂とカペー朝編

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