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【世界史】欧米史をマンガみたいに超速攻略!ゲルマン人の大移動編

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こんにちは。ヤマです。

 

さあとうとうファンタジーの至高の舞台⚔🛡

中世ヨーロッパの攻略に入ります。

 

今回はローマ編の続編、そして中世の幕開けとして、

ゲルマン人の大移動編を攻略しましょう。

 

ヨーロッパという舞台

 

ヨーロッパは大別して

①地中海沿岸部②西ヨーロッパ③東ヨーロッパ

3つに分けられます。

 

何事も、まずは大枠をとらえることが大切です

まずは、この3枠を理解しましょう。

 

地中海世界

 

果樹栽培・交易・植民が盛んな地域で、

ヨーロッパ古代文明といえば、

この地中海世界です。

 

ギリシア・ローマの系譜を色濃く引いていて、

中世以降もおもにラテン系民族が分布しました。

 

地中海という舞台についての詳細

および世界史における「舞台」の意義については、

ギリシア編①を確認してください。

 

西ヨーロッパ

 

今でこそ世界の中心のような顔をしている

「西欧」ですが、

実は今のところ歴史の表舞台にほぼ出てきていません。

 

このころの西欧といえば、

 

先住のケルト人

そして彼らをアイルランドへと追いやった

本編の主役ゲルマン人による、

 

狩猟・牧畜と大森林のひろがる未開の世界

 

なのです。

 

(ローマ帝国の領域は地中海沿岸が中心で、

今のドイツ以東・以北はほとんど含まれていませんでした。)

 

中世になってようやく、

開墾・農業技術・河川による交通網が発展し、

少しずつ脚光を浴びるようになったのです。

 

マロ
マロ

けっこう新参なんだにゃ

 

民族は、やはりゲルマン系民族が中心となりました。

 

東ヨーロッパ

  

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が残存し、

ギリシア・ローマの古典文明を受け継いでいました。

 

おもにスラヴ系民族が分布し、

穀倉地帯として機能しました。

 

中世の東欧についての詳細は、

ビザンツ帝国編を確認してください。

 

少数者マイノリティ

 

ラテン系・ゲルマン系・スラヴ系

すべてインド=ヨーロッパ語族に属します。

 

しかし、彼ら以外の少数者マイノリティ

アジア由来のウラル語系・アルタイ語系民族

忘れてはなりません。

 

たとえば

 

ハンガリーの祖マジャール人

 

フィンランドの祖フィン人

 

はともに、アジア由来のウラル語系の遊牧民です。

 

ゲルマン人

 

さて前置きはこの辺にして、

本編の主役ゲルマン人にスポットを当てましょう。

 

ゲルマン社会

 

先述のように、古代ゲルマン社会は未開の地でした。

 

なので、

大移動によりドカドカ

歴史の表舞台に出てくる前の

古ゲルマン社会(原始ゲルマン社会)については、

 

カエサル『ガリア戦記』タキトゥス『ゲルマニア』

といったわずかな史料から推察することしかできません。

 

マロ
マロ

カエサル・・ここにも出てくるとは・・

大した漢だにゃ

 

それらによると、彼らは

牧畜・狩猟で生活し、

約50の部族集団(キヴィタスに分かれていました。

 

貴族・平民の全成人男性が参加する

全会一致(というのはタテマエで実際は貴族主導

民会を最高機関(というと大層ですが、部族会議のようなもの)

としました。

 

ローマ帝国期のゲルマン人

 

古ゲルマン社会はジワジワと発展し、

 

生産力向上→人口増大→土地不足→移住

 

という世界史の法則どおりのプロセスを踏みます。

 

そしてその移住先というのが、

時の大帝国・ローマでした。

 

多くが小規模・平和的な移住でしたが、

ときに大規模・武力的に侵入するものもいました。

 

マロ
マロ

プツプツと大移動の匂いがしてきたにゃ

鼻の利くマロじゃなきゃ見逃してたにゃ

 

この侵入がローマにとっては厄介で、

すでに西暦9年にはトイトブルクの戦い

ゲルマンがローマ帝国軍を破っています。

 

ゲルマン人は例の長々ネームおじさん

マルクス=アウレリウス=アントニヌス=大秦王安敦=哲人皇帝👨

が取引により一部ゲルマン人の定住を公認して以降、

 

どんどんどんどんローマに浸透してゆき、

傭兵コロヌスなどとしてローマ社会に同化していきました。

 

ヤマ
ヤマ

なんと帝政末期のローマ軍は

ほぼ全てゲルマン人傭兵で占められていました。

 

ゲルマン人の大移動

 

キヴィタスはやがて、

10ほどの大部族に統合されます。

 

それは、

西ゲルマンの

西ゴート人・東ゴート人・ヴァンダル人・ブルグンド人・ランゴバルドなど

 

およびゲルマンの

フランク人・アングル人・サクソン人など

でした。

 

プツプツと大移動の匂いがする中、

ある事件を機に、

 

ビッグ・バン!!!!!!!!!!!!!!

 

ゲルマン人の大移動スタートです。

 

その事件とは、

アジア系遊牧民フン人がヨーロッパに侵入、

東ゴート人を服属させた(375)ことで、

 

西ゴート人「助けてー!😢」と保護を求めて

大挙してローマに侵入してきたのです。

 

今でいう難民ですね。

 

マロ
マロ

「みんなでゴー!(375)ゲルマン人の大移動」

と覚えるといいにゃ

 

よりによってこの時のゲルマン人は

キヴィタスよりさらに大規模の大部族になってしまっていましたから、

ローマは大量の難民を抱えるハメになりました。

 

とはいえ侵略者ではなく難民ですから、

滅びるほどのダメージを

ローマに与えたわけではありません。

 

しかし、もともとローマ定住と引き換えに

北辺を防衛していた難民

よりよい土地への勝手に移住

ローマ皇帝軍の撃破などやりたい放題をしたり、

 

ローマが東西に分裂(395)して

北辺の防衛が手薄になると、

 

ゲルマンの諸部族が一気に

ガリア(今のフランス)に侵入します。

 

 

そのころ元凶のフン人はといえば、

アッティラ大王のもと大帝国に急成長し、

西ヨーロッパにまで侵入しました。

 

さすがにヤバいということで、

西ローマやゲルマン諸部族が大同団結し、

カタラウヌムの戦いでなんとかフン人を撃退します。

 

このアッティラ王ワンマン帝国のフン人は

王の死とともに崩壊しますが、

 

西ローマ帝国も

ゲルマン人傭兵隊長オドアケル

により滅ぼされました(476)。

 

それぞれのゲルマン国家

 

こうして、パクス=ロマーナはどこへやら、

ヨーロッパにはゲルマン王国が乱立するようになります。

  

西ゴート王国

 

大移動の直接的原因となった

難民集団・西ゴート人は、

 

ローマ皇帝軍の撃破(378)、

イタリア・ローマ市の荒らし(410)

など相変わらずやりたい放題したあと、

 

ガリア南部に西ゴート王国をたてます(418)。

 

しかしフランク人に敗れ(507)、

イベリア半島へと逃亡、

 

こんどはイベリアに先にいた

ヴァンダル人を押し退け、トレドに遷都します。

 

そして、711年になって

イスラームウマイヤ朝に滅ぼされました。

 

マロ
マロ

やりたい放題の西ゴート・・

案外しぶといにゃ

 

東ゴート王国

 

フン人に服属していた東ゴート人は、

アッティラ帝国の崩壊後に独立し、

 

テオドリック大王のもと

ビザンツ皇帝の命によりイタリアに侵入

西ローマの仇・オドアケルを倒し

東ゴート王国(都:ラヴェンナ)を建てます(493)。

 

東ゴート王国は

ローマの本場イタリアを抑えただけあって

ゲルマン王国の中で最も栄えましたが、

 

長続きはせず、

テオドリックの死後に

肝心のビザンツ帝国ユスティニアヌス帝

により滅ぼされました(555)。

 

マロ
マロ

東ゴ(5)ート王国だけに、

555年滅亡だにゃ

 

それにしてもビザンツ、

なんて卑劣なんだにゃ・・

 

ヴァンダル王国

 

ヴァンダル人はイベリア半島を追われたあと、

かつてのカルタゴの地・北アフリカ

ヴァンダル王国をたてます(429)。

 

しかしここも、

ビザンツ皇帝ユスティニアヌスにより

滅ぼされました(534)。

 

マロ
マロ

ユスティニアヌス・・

大したやつだにゃ

 

ブルグンド王国

 

ブルグンド人はフン人に追われつつ、

ガリア東南部ブルグンド王国をたてます(443)。

 

これを534年に滅ぼしたのが、

次世代の主役・フランク王国です。

 

マロ
マロ

つまり同じ534年に、

ビザンツ帝国はヴァンダル王国を

フランク王国はブルグンド王国を

滅ぼしたということだにゃ

 

「降参し(534)たからヴァン・ブル滅亡」

と覚えるにゃ

 

フランク王国

 

フランク人は

メロヴィング家クロ―ヴィスにより統一され、

フランク王国が建てられます(481)。

 

この王国はゲルマン王国のなかで唯一長生きし、

西欧勃興の立役者となります。

 

詳しくは、フランス史①フランク帝国編を確認してください。

 

七王国(ヘプターキー)

 

アングル人・サクソン人らは

イングランドに侵入し、

6世紀末までに七王国(ヘプターキー)にまとまりました。

 

詳しくは、イギリス史を確認してください。

 

ランゴバルド王国

 

6世紀半ばになってようやく移動しはじめた⏰のが

ランゴバルド人です。

 

彼らは東ゴート王国滅亡後に放置されていた(えっ)

北イタリアに入り、

ランゴバルド王国をたてました(568)。

 

そしてその約200年後、

フランク王国との激戦の末、

カール大帝によって滅ぼされました(774)。

 

ヤマ
ヤマ

北イタリアは今でも、

ランゴバルドの名残

ロンバルディアと呼ばれています。

 

 

ゲルマン諸王国の総括

 

ゲルマン諸王国の特徴は以下の通りです。

 

①(フランク王国をのぞき)短命

 

ゲルマン人に対しては

東ローマ帝国に対してはその代官のように振舞う

という二重の体制をとった

 

(いくら暴れん坊のゲルマン人でも

古典期より健在の大帝国東ローマを無下にはできなかったのです。)

 

 

③宗教においては異端のアリウス派を信仰し、

ローマ=カトリックと対立した。

 

②、③からいえることは、ゲルマン諸国家には

西ローマには逆らい東ローマには従順

という傾向があるということです。

 

ただ先述のとおり、

いくつかのゲルマン国家は

当の東ローマ帝国に滅ぼされてしまいました。

 

 

さて、以上でゲルマン人の大移動編は攻略完了です!

 

つぎは、フランク帝国史が攻略できる

フランス史①がおすすめです。

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