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【世界史】中国史をマンガみたいに超速攻略!⑥五代十国・宋編

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今回は第3次グチャグチャ時代五代十国~宋です。

 

唐滅亡後、五代十国という分裂の時代がはじまります。

 

マロ
マロ

また500年くらいつづくのかにゃ・・?

 

こんどは幸い、50年ちょいで収まります。

 

五代十国とは、

朱全忠のたてた後梁(都:汴州べんしゅう

をはじめとした、

 

後梁・後唐・後晋・後漢・後周5王朝

節度使のたてた10国のことをさします。

 

宋(北宋)(960~1127)

 

節度使の趙匡胤ちょうきょういん

(後周の皇帝から禅譲されて)

太祖(在位960~976)として即位し、

 

(都:開封かいほう)をたてます。

(ちなみに開封=汴州です。)

 

そして、2代目太宗(在位976~997)が中国を統一します。

 

宋の君主独裁

 

宋は一言でいうと、

君主独裁のために、中国の中央以外を弱らせた

国です。

 

これまで地方では、

藩鎮のような武人がブイブイいわせていましたが(武断政治)、

武人は力をもったら逆襲してくるかもしれません。

 

そこで武人を排除して、

皇帝の手先にできる文官により

政治をおこないます。(文治主義

 

そして地方の藩鎮を解体し、

皇帝直属の中央の禁軍にどんどん吸収していきます。

 

かわりに地方にはザコい軍しかおかず、

反乱しようにもそもそも率いる兵に

ロクなのがいないという状況にしました。

 

軍事作戦などをつかさどる枢密院も文官にまかせます。

 

そしてさらに恐ろしいのは、

科挙(州試+省試)に、

皇帝みずから試験管となる殿試を加えます。

 

殿試の成績によって官職や昇進をも左右されたので、

皇帝はもう好き放題できます。

 

もし目の前に皇帝がいて、

好成績で合格させてくれたりなんかしたら、

そりゃあ心服しちゃいますよね。

 

その皇帝に心服した進士たちが高位高官になるのですから、

上手い独裁システムを考えたものです。

 

殿試まで加わったこの科挙は、

幼少から何十年も猛烈に受験勉強をしてようやく突破できるかどうか

という超激ムズ試験

 

だから働かさせずに勉強ばかりをさせつづける余裕のある、

形成戸とよばれた金持ちの地主の子供しか

合格できませんでした。

 

(合格者がでた家は官戸とよばれました。)

(あ、貴族は唐とともに滅んでます。)

 

こうして地主=官僚=知識人という

超格差社会になります。

このスーパーマンたちを士大夫とよびました。

 

マロ
マロ

要は、

「親が金持ちでエリート社会人のインテリ」みたいな、

いけ好かないやつらが士大夫だにゃ。

 

形成戸は大土地(荘園)を小作人(佃戸)に耕させ、

小作料でガッポガッポ儲けます。

 

(やりすぎて抗租という

小作料減免闘争をちょくちょくおこされます。)

 

マロ
マロ

何事もやりすぎは良くないにゃ

 

独裁の代償

 

巧みな独裁体制をつくった宋でしたが、

 

地方の防衛力が下がったところを異民族に圧迫されたり、

禁軍や官僚が膨れ上がって財政を圧迫したりします。

 

そこで異民族にたいしては、

 

①契丹族のと1004年に澶淵の盟

②タングート族の西夏と1044年に慶暦の和約

 

をむすび、

どちらも毎年たくさんの贈り物をすることを

約束してなんとか収めます。

 

またその贈り物によってさらに圧迫された財政をなんとかするため、

6代目神宗により宰相にされた王安石は、

新法という改革を行いました。

 

それは、財政対策としての

青苗せいびょう法・均輸法・市易しえき法・募役ぼえき

 

ついでに強兵策としての

保甲法・保馬法でした。

 

マロ
マロ

せーびょーきんゆしえきぼえきほこーほば

にゃ

 

ただ改革者の前には邪魔がはいるもの。

 

司馬光蘇軾そしょくらの保守派官僚は旧法党として、

新法党党争をくりひろげ、

政治は混乱します。

 

農村ではあいかわらず超格差社会

中小自作農はどんどん没落していきます。

 

女真族のと組んで遼を滅ぼせたりもしますが、

 

とうとう、そのの侵入により、

上皇の徽宗きそうと皇帝の欽宗が連れ去られ、

宋は滅びました(靖康の変)。

 

ヤマ
ヤマ

ちなみに徽宗は桃鳩図を描いた風流天子で、

あの『水滸伝』も徽宗の時代が舞台です。

 

周辺異民族

 

宋を苦しめた3国も攻略しておきましょう。

 

3つとも異民族ですが、

北魏孝文帝とおなじく

「異民族は基本的に中国かぶれ」です。

 

中華帝国への憧れをみな持っているのですね。

そこをおさえるとだいぶスッキリ頭に入ってきます。

遼(916~1125)

 

契丹族の国です。

 

安史の乱鎮圧を援助した、あのウイグルが分裂したあとに、

モンゴルを支配しました。

 

耶律阿保機やりつあぼきの代にをたて、

唐のころから「海東の盛国」とよばれた渤海を滅ぼします。

 

2代目太宗は、石敬瑭せきけいとうが五代のひとつ後晋をたてるのをサポートし、

その見返りに燕雲十六州を割譲させます。

 

ヤマ
ヤマ

北方民族中国外を本拠としながら、

中国の一部を割譲させた」

いわば

「中華世界そのものを狭めた」のは

遼が最初です。

 

このように、

中国と同化せずに中国(の一部)を征服した

北方異民族の王朝を、

征服王朝といいます。

 

また結局、太宗は後晋を滅ぼします。

 

6代目聖宗のときが最盛期で、

有利な澶淵の盟を宋とむすびました。

 

 

初の征服王朝である遼は、

もともとの遊牧民

中国の農耕民という全く別の民を

ダブルで治めなければならなかったので、

 

遊牧民は遼固有部族制により北面官が、

農耕民は中国風州県制により南面官

統治するという

二重統治体制をとりました。

 

文化面では、

仏教がさかんで白塔がたてられたり、

漢字に似た契丹文字をつくったりしました。

 

西夏(1038~1227)

 

ウイグルの衰退に乗じたのは契丹だけではありません。

 

タングート族はこの機に、

東西交易の要衝・敦煌に進出して強大化。

 

李元昊りげんこうの代には西夏をたてます。

 

宋とも戦い、

1044年には慶暦の和約で独立を認めさせます。

(毎年の贈り物もゲット)

 

西夏も中国風の儀礼・制度・儒教・仏教などを導入しまくり、

漢字に似た西夏文字をつくりました。

 

(その反動で、

タングートの伝統を守るために

禿髪令とくはつれいが出たりしてます)

 

マロ
マロ

おそろしい名前の命令だにゃ

 

金(1115~1234)

 

遼を滅ぼし西夏を服属させたのが、

ツングース系女真族

 

もともと女真族は遼の支配下にありましたが、

完顔阿骨打わんやんあぐだのもと自立し、

をたてます。

 

2代目太宗のときに宋とタッグを組んで遼を滅ぼします。

この直後におきたのが、靖康の変です。

 

(ちなみに遼はこの後、

耶律大石やりつたいせきのもと、

西遼(カラ=キタイ)として復活します。)

 

 

金は遼の二重統治体制を真似して、

女真人を女真固有の猛安・謀克で、

漢人を中国式の州県制で統治しました。

 

金は遼につぐ

第2の征服王朝なのですが、

 

燕京(現在の北京)に遷都した4代目海陵王

中国かぶれだったりして、

だんだん中国に染まっていきます

 

また海陵王は戦争つづきによる財政難にたいして、

紙幣(交鈔を発行します。

 

マロ
マロ

新貨幣は儲かる理論だにゃ

 

また金も、漢字に似た女真文字をつくりました。

 

南宋(1127~1279)

 

靖康の変のあと、

欽宗の弟が高宗として即位し、

宋を再興します(都:臨安)。

 

これを南宋といい、

かつての宋を北宋とよびます。

 

このころの中国は、

華北の金VS江南の南宋

 

ですが、

和平派の秦檜しんかい主戦派の岳飛がくひをおさえ、

1142年、金と紹興の和約🥃をむすびます。

 

マロ
マロ

紹興酒の紹興だにゃ🥃

 

これは宋恒例の毎年の贈り物も、

淮河以北の完全な放棄も、

金への臣下の礼ぜーーーんぶ約束し・た・ら

宋を攻めないであげるよ⭐

 

・・・という屈辱的なものでした。

(しかもこのすぐあとに海陵王が攻めてきます)

 

もともと江南しか持っていないうえに、

出だしからゴタゴタの南宋ですが、

なんと150年もつづきます。

 

それは、圩田うでん囲田いでん

ベトナム由来のパワフル米の占城稲せんじょうとうなどのおかげで、

 

このころには中国の農業と経済の中心が

(かつての華北から)江南へと完全に移っていたからです。

 

蘇湖(江浙)熟すれば天下足る

ということわざが生まれたほどでした。

 

そのほか、宋代には経済がとても発展します。

 

唐の坊市制(商業は①市の内部で②にだけ許す)は崩れ、

商人が大活躍します。

 

世界初の紙幣である交子・会子が流通したり、

唐以来の草市が、などの商業都市に発展したりします。

 

同業組合も、唐以来の商人ののほか、

手工業者のもできます。

 

宋代の陶磁器の青磁・白磁をつくる景徳鎮も発展します。

 

南海貿易も栄え、唐以来の広州だけでなく、

泉州・臨安・明州なども開かれ、

市舶司もこれらすべてに設置されます。

 

南宋のころには広州にかわり泉州が最大の貿易港になります。

 

またブームになった茶の専売🍵で宋はぼろ儲けします。

 

一方、宋の文化は国粋的でした。

 

もともと中華思想という異民族への優越意識があったのに、

宋代には異民族にしてやられまくったので(現実)、

 

「キーー!おれたちはすごいんだ!!」(脳内世界🧠)

とばかりに、

ことさら中華思想を主張するようになり、

 

華夷の別かいのべつという

「おれらはトクベツなんだ」理論が散々語られます。

 

まとめると、

藩鎮解体し文治政治→軍事力低下→異民族の圧迫→国粋的で伝統的な文化

という流れです。全部つながりますね。

 

さて、西遼だの西夏だの金だの南宋だの色々出てきましたが、

このあとこれらがどうなったかというと、

西遼も西夏も金も南宋もみーーーんなモンゴルが滅ぼしました。

 

マロ
マロ

えっ・・・

 

次号、中国史⑦「13世紀はモンゴルの世紀」編!

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