東アジア・中央アジア史 高校世界史

【世界史】中国史をマンガみたいに超速攻略!⑤隋唐編

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今回は隋・唐の二つの大帝国を攻略します。

 

隋(581~618)

  

北周の外戚であった楊堅

北周をたおして文帝として即位し、

をたてます。

 

そして、新都として大興城をたてたあと、

南朝のをほろぼし、

中国をひっっさびさに統一します

 

文帝の時代(581~604)

 

さんざんバラバラ時代がつづいたので、

文帝は中央集権化をすすめます。

 

新しいことは4つ。

 

租調庸制

 

日本史にもでてきますね。

これにより民衆支配を強めます。

  

州県制

 

郡県やら郡国やらでゴタゴタしてましたよね。

文帝は郡にかわり、新しくによって国を分けました。

皇帝の自己流で国を分けなおしたというわけです。

 

科挙

 

門閥貴族の温床となった九品中正を廃止してうまれた、

難しーーーーーーい学科試験による新しい官吏登用制度です。

 

「種々の目による選」を略して科挙です。

 

のちの王朝でもおこなわれ、

なんと20世紀までつづきます。

 

また、北朝以来の均田制・府兵制もつづけます。

 

ただし、隋の均田制では

奴隷や牛に給田するのをやめています

 

これも、皇帝強大化・豪族貴族弱体化のあかしです。

 

煬帝の時代(604~618)

 

煬帝はとにかくイケイケ

 

江南の杭州から華北へと大運河をつくり、

万里の長城を修復します。

 

また東突厥、高句麗、ベトナムの林邑などへ

遠征しまくります

 

マロ
マロ

大土木工事大遠征・・・いやな予感がするにゃ

 

煬帝はとうとうやらかしました。

高句麗遠征が何度も失敗し、

 

またまた中国あるある、

不満をためた農民の反乱がおき、

煬帝は殺され、

隋は滅びます

 

ただ、南北を結んだ大運河の意義は大きく、

いまでも用いられているほどです。

 

唐(618~907)

 

李淵・李世民の父子が

唐(都:長安)を建てました。

 

高祖の時代(618~626)

 

李淵高祖となりました。

まだ統一前です。

 

太宗の時代(626~649)

 

李世民太宗となり、

中国を統一しました。

 

均田制・租調庸制・府兵制にもとづく

律令体制により唐の基盤を確立したり、

 

東突厥をたおして

天可汗てんかがんの称号をえた太宗の治世は、

「貞観の治」とたたえられます。

 

律令体制

 

隋同様の中央集権的な国家体制です。

 

このへんは日本史で習ったこととも被るので、

サクサク読みましょう。

 

基本法は

律(刑法)・令(行政法)・格(追加法)・式(細則)4つ

 

政治をおこなう(行政)のは

三省(中書省・門下もんか省・尚書省)

六部(れいへい・刑・工)です。

 

<br>マロ

マロ

ちゅーしょもんかしょーしょ

りこれーへーけーこー

だにゃ

 

詔勅(皇帝の命令)を

中書省が文書化(+政策づくり)をし、

門下省がそれを審議し、

尚書省が六部をひきいて実施します。

 

六部のうち、

最重要の吏部は官僚人事を、

戸部は財政を、

礼部は科挙をつかさどりました。

 

ヤマ
ヤマ

吏部は、官吏の「」だから官僚人事、

徴税は籍にしたがうから、戸部は財政、

科挙は「」を重んじる儒教を課すから、礼部は科挙

と覚えましょう。

 

また監察機関として御史台ぎょしだいがおかれ、

 

のちにでてくる節度使のように、

令(行政法)にはもともとなかった官職として、

令外官りょうげのかんが追加されたりしました。

 

また北魏以来の均田制のもと、

すべての土地を国有とし、

すべての国民をおなじ農民とみなして

 

口分田(あとで返す)や永業田(返さなくていい)

をあげるかわりに、

租調庸・府兵の義務を課すという、

 

国民すべてを管理するギブアンドテイクのシステム

をとりました。

 

ちなみに府兵には、

あの衛士(都の警護)や防人(辺境の防衛)もふくみ、

さらに武器などは自弁です。

 

この重ーーーーーーーーーい義務は

成人男性(丁男)にばかり課されたので、

 

「戸籍上は」女性🙎

という人がめちゃくちゃ増えます。

 

戸籍により国民を把握しようとした律令制度を

逆手にとったのですね。

 

高宗の時代(649~683)

 

西突厥高句麗・百済をほろぼし、

西域を支配して、

唐の最大領域を実現しました。

 

また、

異民族の長に唐の官爵をあたえることで

間接的に異民族を支配する

羈縻きび政策をもちい、

 

その監視のために六都護府をおきました。

 

則天武后の時代(690~705)

 

則天武后は中国史上唯一の女帝🙎です。

 

この人、

国号をに変える「武周革命」をし、

陰惨な恐怖政治をおこなったことで、

ボロクソに評判が悪いです。

 

マロ
マロ

周は大人気だにゃ

 

則天武后をまねた韋后いこうってのも現れます。

 

このころの混乱を武韋の禍ぶいのかとよびます。

 

玄宗の時代(712~756)

 

玄宗げんそう前半がサイコーで、後半がダメな人。

 

前半は開元の治とたたえられ、

文化も爛熟し、

唐は全盛期をむかえます盛唐

 

唐の光

 

都の長安

国際色豊かな大都市として栄えます。

 

陸路ではイラン系のソグド商人との東西貿易をし、

 

海路ではムスリム商人と、

広州においた市舶司を窓口に貿易します。

 

広州にはムスリムの居留地として

蕃坊ばんぼうがつくられました。

 

また、もともとは

坊市制(商業は①市の内部②昼にだけ許す)で

統制していた商業も、

 

唐後期にはどんどん自由活発になり、

 

こう(商人組合)

飛銭ひせん(送金手形)

草市そうし(地方市場)

 

などがうまれました。

 

マロ
マロ

活発になればそのぶん用語も増えるにゃ

 

唐の闇

 

しかしその傍らで、

崩壊の序曲が音をたてはじめていた・・・・

 

 

均田農民の没落

 

府兵制の負担が重すぎて、

農業も訓練もこなすのは大変)

みんな逃げ出しちゃいます(逃戸)。

 

しかたがないので、

健児という職業兵士をやとってカバーする

募兵制にうつります。

 

羈縻政策の破綻

 

服属させた異民族がどんどん反抗してきます。

 

そこで軍事力アップのために、

都護府にくわえて辺境藩鎮をおき、

 

十の節度使にそこの

兵権・民政権・財政権などいろいろ丸投げします。

 

そんななか、751年、

タラス河畔の戦い高仙芝こうせんし

アッバース朝にボロ負けしてしまいます。

 

要は内もガタガタ(①)外もガタガタ(②)

 

ここで、玄宗は「しーーらね⭐」とばかりに

あの楊貴妃とのラブラブ生活💑に夢中になります。

 

そこでやっぱり、反乱がおきます。

安禄山、つづいて史思明ししめいによるものです。

 

これは10年近くもつづき、

玄宗は都落ちしたり、

楊貴妃を殺さざるを得なくなったりと、

さんざんな目に。

 

ウイグルの援助のおかげで、

玄宗没後になってようやく鎮圧しますが、

唐は没落していきます。

 

唐の没落

 

政治も社会経済もグチャグチャになります。

 

政治

 

藩鎮が力をもちすぎて反抗し、

 

宦官が皇帝の廃立をきめちゃうほどに絶大な力をもち、

 

官僚たちも派閥争い(牛李の党争)に明け暮れます。 

 

社会・経済

 

均田制・租調庸制は完全に崩壊

つまり収入源崩壊。

 

そこで楊炎により両税法がはじまります。

 

これは、均田制では認めていなかった

土地私有を公認するかわりに、

税金をよこせ💰というもの。

 

土地の資産額に応じて、夏・秋に徴税しました。

 

つまり、

均田制では金持ちも貧農も

おなじ農民とみなして、

おなじく給田していたから、

同率の税しかとれなかったけど、

 

両税法では金持ちからほどたくさんの税をとれるようになり、

現実とマッチしました。

 

 

 

(一方、貴族はといえば、

そもそもあまり地方にいたがらなくなります

 

九品中正が廃止され、

官僚になるためにあまり忖度できなくなり、

超難関の科挙(とくに進士科は難関)を

(貴族の優遇はあったものの)突破しないといけなくなったため、

 

とくに安史の乱で荒れた地方にいるよりも、

中央にいてあの手この手で官僚貴族となるほうが

旨味があるようになります。

 

こうしたことから、

貴族にかわり公認された土地所有をバンバンひろげる

地元の金持ちの新興地主層がでてきます。)

 

 

 

くわえて、塩の専売をします。

 

ヤマ
ヤマ

問題。これ以前に塩の専売をした中国皇帝は?

 

 

 

 

—————————————-

そう、漢の武帝ですね。

マロ
マロ

あやしかった人はもう一度

中国史③漢編をチェックにゃ

 

この両税法塩の専売とがうまくいき、

何気に安史の乱から150年も唐がつづきます。

 

唐の滅亡

 

専売でべらぼうに高くなった

庶民は買えませんから、

塩の密売人が活躍します。

 

その密売人の黄巣王仙芝おうせんしとともに

反乱をおこします(黄巣の乱)。

 

これを鎮圧した朱全忠が、

なんとついでに唐までも滅ぼします。(えっ)

 

さらについでに、

地方の大土地を捨てて中央に来ていた

官僚貴族たちも一緒に滅びました。

 

マロ
マロ

盛者必衰だにゃ

 

次号、またまた混迷、中国史⑥第三次グチャグチャ時代!五代十国・宋編

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