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【世界史】中国史をマンガみたいに超速攻略!③漢編

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つぎは「漢」

 

「漢字」の元ネタになった王朝で、

前漢・後漢あわせて400年もつづきました。

 

中国人のことを漢民族とよびますが、

その元ネタでもあります。

 

『キングダム』『三国志』との間の時代でもあります。

(ちなみに当時のヨーロッパは、ちょうど古代ローマの時代です。)

 

前漢(前202~後8)

 

秦への反乱のゴタゴタの末、

劉邦項羽の決戦になり(垓下の戦い)、

劉邦が勝って皇帝になり、(都:長安)をたてます。

 

マロ
マロ

漢文でやった「鴻門の会」「四面楚歌」のあたりだにゃ

 

ちなみに皇帝には、〇〇帝という名前以外にも、

〇祖〇宗などの名前がつくこともあります。

劉邦の場合は、高祖です。

 

高祖の時代(前202~前195)

 

おきまりの

「前王朝の失敗に学んで違うことをする」理論で、

 

秦の時代よりも、

厳しさをやわらげ

中央集権的ではなく分権的にし、

民の負担を軽くしました。

 

具体例は郡国制です。

 

これはの封建制との郡県制との良いとこどりで、

中央は郡県制、地方は封建制というものです。

 

これにより、秦よりかはユルい支配をしました。

 

さて劉邦、あの項羽には勝つも、

北の遊牧民・匈奴

冒頓単于ぼくとつぜんうのもとでまた強大化すると、

これに負けてしまいます。

 

景帝の時代(前157~前141)

 

一見よさそうな郡国制、

じつは問題点があります。

 

そもそも秦は、地方が勝手に力をもたないように

郡県制を全国に用いたんですよね。

 

そう、郡国制では地方が力をもっちゃったのです。

 

劉邦のころから功績のあった家臣の家は

どんどんどんどん潰し続けてきたのですが、(えっ)

身内である劉氏一族の諸侯は残ってた。

 

でもこの身内が郡国制のもと地方で力をつけ、

6代目景帝の時代にとうとう、

呉楚七国の乱をおこします。

 

ただ、これはすぐ潰され、

地方が弱まり、中央集権化がすすみました。

 

武帝(前141~前87)

 

つぎの武帝の時代にはついに、

実質的に郡県制になります。

つまり、より中央集権的になりました。

 

この武帝の時代はとにかくながーーーい

だからいろんなことがありました。

 

それをギュッとまとめると

(内では)中央集権!(外へは)稼いだ金で戦争!

です。

 

中央集権体制の確立

 

3つのことをしました。

 

郷挙里選

 

地方長官が推薦した人を

官吏(≒官僚)にするというものです。

 

地方の人は官吏になれるチャンスを得て、

みんな官吏になりたがりました。

 

でも官吏って要は皇帝の手先ですから、

皇帝の威勢は高まったのです。

 

(ちなみに三国志曹操郷挙里選で官吏に推薦されました)

 

董仲舒とうちゅうじょのアドバイスで儒学を官学化しました。

 

儒学は

「上に従え!礼をちゃんとしろ!」

という教えです。

 

だから、国で一番上の皇帝に上手く利用されたというわけです。

 

「元号」をはじめました。

 

いまの日本の元号は「令和」ですが、

その元ネタです。

 

たとえば「マロ」が元号になったら、

マロ元年、マロ2年、というように

毎年言われるわけですが、

 

そうなったら自然とマロの威勢も高まりますよね。

それと同じことを武帝はおこなったのです。

 

マロ
マロ

いますぐ実践するにゃ!

 

戦争

 

「武」帝なだけあって戦争大好き。

東西南北に畳みかけます。

 

西:おなじみ北の匈奴を挟み撃ちにするために、

張騫ちょうけん大月氏のもとに派遣しました。

 

これ自体は失敗しますが、

いままでよく知られてなかった

西域の情報を張騫がもってきます。

 

西域のロマンに夢中になった武帝は、

烏孫うそんにも張騫を派遣し、

また大宛に遠征もしました。

 

ちなみに大宛遠征により、

「血の汗を流しながら一日に何千キロも走る」

といわれる汗血馬をたくさんゲットします。

 

衛青霍去病かくきょへいに、

とうとう匈奴を撃退させ、

敦煌など4郡をおきました。

 

南越(秦がいちど倒したが、秦滅亡で自立)を征服し、

南海など9郡をおきました。

 

衛氏朝鮮を滅ぼして、

楽浪など4郡をおきました。

 

資金稼ぎ

 

戦争にはお金がかかる。

だから稼ぎまくります。

 

五銖銭:武帝による新しい貨幣です。

貨幣の作り直しは、とにかく儲かります

 

マロ
マロ

マロも1マロ=1億円の貨幣をつくるにゃ

 

・・こういうことができるからです。

 

塩・鉄・酒の専売「専売」は今後もたくさんでてきますが、

要は

「俺がどんなにボッタくろうとも、俺以外から買うな!」

というものです。

 

ぼったくり放題で儲かりまくりです。

 

均輸法・平準法輸送物価をコントロールしました。

 

ただ結局、あの手この手をつかっても、

国家財政は苦しいままでした。

 

前漢の末路

 

財政難のなか、中央も地方もグチャグチャに。

 

中央では、外戚(皇帝の妻の親戚)や

宦官去勢とひきかえに、皇帝以外は男子禁制

ところにも行けるようになった皇帝の側近たち)

がやりたい放題。

 

地方では、土地をたくさん買い集めた

豪族がやりたい放題。

 

郷挙里選により豪族は官僚としても権力をにぎります。

 

反対に、土地を失った農民は奴隷へと没落しました。

 

哀帝限田策(土地と奴隷の数を制限)をうつも、

効果なし。(名前のとおり哀れ・・) 

 

とうとう、外戚の王莽が帝位を奪い、

(都:長安)をたてます。

 

新(8~23)

 

王莽は一言でいうと、時代遅れ

 

ふるーーい周を理想として、

周礼しゅれいにもとづく政治をおこないました。

 

土地もすべて公有にもどそうとし、奴隷売買も禁止します。

 

 

しかし、現実を見ず理想ばかりの政治は当然うまくいかず、

土地・奴隷をとられた豪族の反発をまねいたうえ、

 

もともと没落して鬱憤のたまっていた

農民がおこした反乱(赤眉せきびの乱)をきっかけに、

奇しくもあの秦とおなじく15年でほろびます。

 

後漢(25~220)

 

劉秀が漢を復興し(都:洛陽)、

光武帝として即位します。

 

光武帝は、いったん外へ攻めるのはやめて、

内部を前漢の制度+儒教により

たてなおすことに努めます。

 

その後、数代にわたり力をためつづけた後漢は、

そこから

 

①またまた匈奴を撃退

 

班超西域都護さいいきとごにして西域へ進出

 

③班超の部下である甘英を、東西交易のために

大秦国(古代ローマ帝国のこと)に派遣

 

と、外に出ます。

 

また

大秦王安敦(マルクス=アウレリウス=アントニヌスのこと)

の使節が海から日南郡に来る

 

漢委奴国王かんのわのなのこくおう印」を倭の奴国にあたえる

 

ということもありました。

 

 

さて、後漢もそろそろ滅びます。(はやっ)

 

後漢の後期は、

外戚・宦官VS官僚・学者

という状況。

 

中央で皇帝そっちのけでやりたい放題

外戚・宦官に対し、

 

儒教(目上を重んじる)が身についている

官僚・学者が反発。

 

そこで宦官は、官僚・学者を弾圧しました(党錮とうこの禁)。

 

中央がグチャグチャなら地方もグチャグチャ。

あいかわらず税と豪族に苦しめられて鬱憤のたまっていた

農民が大反乱(黄巾こうきんの乱)をおこし、

 

なんやかんやで

群雄割拠の三国時代に突入。

 

そのなかで、曹操の息子である曹丕そうひが後漢を滅ぼしました。

 

次号、ついに『三国志』!グッチャグッチャの魏晋南北朝編!

 

マロ
マロ

絶対見てにゃ♪

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