つづいて第二部、
漫画『キングダム』の世界に連なる群雄割拠の時代、
春秋戦国時代です。
ちなみに名前の元ネタは、
『春秋』(あの孔子によるもの)と
『戦国策』という書物です。

どーせ何十年かすればまた新しい王朝がでてくるにゃ

550年も戦乱が続いたよ⭐
日本でいえば、
応仁の乱(1467)からずーーっと今(2020)まで
戦国時代が続いたようなものですから、おそろしい・・
春秋時代(前770~前403)
このころは
①周王の権威が多少残ってる
②諸侯はその権威を利用し、
「尊王攘夷」(周王を尊び異民族を追い払う)という
タテマエでやりたい放題
という状況でした。
そして諸侯の中で強大なものは覇者とよばれ、
とくにトップ5は春秋の五覇とされます。
ただ、漫画のキャラの強さランキングでも意見が分かれるように、
これも斉の桓公と晋の文公以外の3人は、諸説ありです。
中国の真ん中らへん(中原といいます)の諸侯は
「尊王攘夷」のタテマエを用いますが、
中原と文化が異なる南の方の諸侯は、
周王ガン無視で「王」の称号も名乗ります。
やがて、強国の晋が3つに分裂(韓・魏・趙)すると、
そこからは戦国時代とよばれるようになります。
戦国時代(前403~前221)
戦国時代になると、
①もはや周の権威はゼロ
②諸侯は実力により潰しあい
となります。
そして、
長きにわたる苛烈な戦いの末に生き残った7国が、
戦国の七雄とよばれます。
それは、さっきの韓・魏・趙と秦と、
あとは楚・斉・燕です。
このなかで最強だったのは秦(都:咸陽)です。
血縁よりも実力!の世の中で、有能な人間はバンバン活躍し、
諸子百家とよばれますが、
そのなかの一人、
法家(法のプロ)の商鞅が
秦を改革し、強大化させます。

商鞅・・大したやつだにゃ・・
秦が強大になると、
縦横家(戦略のプロ)の蘇秦という人のアイデアで、
ほかの6国がすべて同盟して
秦に対抗します。(合従策)
これに対して秦の縦横家の張儀は、
他国ひとつひとつと個別に同盟して、6国を崩すという
連衡策をとり、秦を救います。
そして、最強国・秦の王として即位した政が、
前221年に中国を統一します。

この過程はめちゃくちゃ面白いから、
ぜひ漫画『キングダム』を読んでみてにゃ
春秋戦国時代の社会・文化
550年間もあったので、いろんな変化が起こりました。
社会・経済
殷後期に出てきた金属、覚えてますか?
そう、青銅器。
この時代にはさらに、鉄器が使われます。
ただ武器に使えるレベルではなかったので、
主に農具として使われました。
くわえて、牛に鉄製の道具を引かせる牛耕🐄も広まりました。
道具が良くなれば、生産量がふえ、
すると農民は自立していきました。
それまではたいした生産ができなかったために自立できず、
仕方なく血縁にたよって団結してたというわけです。
そして、
鉄製農具・牛耕→農業生産がふえる
→農民自立・商品がふえる
→土地の私有・貨幣が出回る(青銅の貨幣)
という流れになります。
青銅の貨幣は、
布銭・刀銭・蟻鼻銭・環銭
の四種類です。
布銭は韓・魏・趙で、
刀銭は燕・斉で、
蟻鼻銭は楚で、
環銭は戦国末期に各地でつかわれました。

おぼえきれないにゃ

よし、こうやって覚えよう
中国の北西が布銭の韓・魏・趙、
北東が刀銭の燕・斉、
南が蟻鼻銭の楚でしたから、
布 刀
蟻(アリ)
という配置です。
布刀、アリ、布刀、アリ、布刀、アリ、・・・
はい、両方ともアリに見えてきましたね!

え、そうかにゃ・・?

みえてきましたね
ともあれ、この時代、
商業は栄え、商人も栄え、
斉の都:臨淄はとくに栄えました。
文化
さっき言った通り、
実力主義の中で諸子百家が活躍しました。
ギュッとまとめると、下の9種類。
①儒家②墨家③道家④法家(法のプロ)
⑤名家(論理のプロ)⑥兵家(軍事のプロ)
⑦縦横家(戦略のプロ)⑧農家(農業のプロ)
⑨陰陽家(占いのプロ)
戦乱の世なだけあって、
国を強くして戦いに勝つのに必要そうな専門家が多いですね。
⑤名家は公孫竜、⑥兵家は孫武、⑨は雛衍が有名。
⑦は、そう。蘇秦と張儀ですね。
①~④についてこれから解説します。
儒家
孔子がはじめました。
『論語』は有名ですね。
孔子はとにかく周が大好き。
周の礼を理想とし、仁を強調。
周が重んじた血縁も重んじます。
「周の周公のころは王に徳があって良かった・・」と
徳治主義(徳の良さで人々を治めようという考え方)を唱えます。
そして、孔子の弟子の孟子と荀子は、
どちらも孔子の弟子なだけあって礼を重んじましたが、
孟子は性善説(人間みんな根はいいやつ)
荀子は性悪説(人間みんな根はだめなやつ)
という真逆のことを唱えました。
儒家の教えは儒教として大いに広まりました。
だがそのぶん、アンチもでてきます。
それが墨家と道家です。
墨家
墨子がはじめました。
「孔子は血縁によって差別している!」と
無差別の愛「兼愛」を強調し、
「みんなで助け合い(交利)、戦わないようにしよう(非攻)」
と説きました。
道家
「孔子の言うことは人為的で自然と合わない。
人為的なことをしたりせず、自然のままに生きようよ」という
「無為自然」を説きました。
老子・荘子がはじめたので、老荘思想といいます。
法家
実力主義の戦国時代に、
孔子の徳治主義は現実に合わん!ということで出てきたのが法家です。
性悪説のもと、
「悪しき存在である人間は、
法で縛らないとどうにもならない!」
という法治主義を唱えました。
商鞅の後にも、韓非や李斯が出ました。
秦の末路
秦王の政は統一後、「皇帝」(光り輝く神⭐の意味)になります。
はじめての皇帝だから、
始皇帝です。
始皇帝は統一後さらに、
北の遊牧民の匈奴を蒙恬に撃退させ、
匈奴対策として万里の長城🏰を整えます。
南にも攻めて、南海など3郡をおきました。
こうした大帝国を築いた始皇帝が
国内でやったことを一言でいうと、
「中央集権化」
です。
これは、ざっくり言えば、
「俺にもっとチカラをよこせ!」
というもの。
始皇帝はさっき言った李斯のアドバイスのもと、
①郡県制
②度量衡・貨幣(半両銭)・文字の統一
③焚書・坑儒
を行いました。
これすべて中央集権化のためです。
まず①は、
「中国全部、秦の基準で区分けしなおして、
それぞれに秦の息のかかった新しい責任者をおくるぞ」
というもの。
②今の日本の通貨単位は「円」ですが、
これがいくつもあったら大変ですよね。
だから始皇帝も貨幣などを統一しました。
便利な反面、始皇帝の基準でなんでも決まってるんだから、
勢威はそれはそれは大きくなります。
ちなみに銭といえば、
〇のなかに□の形をイメージすると思うのですが、
半両銭はその元ネタです。
③気に入らない本はすべて燃やすし、
儒家が気に食わないから生き埋めにしてやる!
というもの。
うん、こわい⭐
①~③って、一見暴虐なようですが、
反対勢力を潰すうえでは合理的でもあります。
まさに、仁や礼による儒家の徳治主義ではなく、
厳格さによる李斯ら法家の法治主義を実践している。
こうして強大化した秦、
じつはシナ=CHINAの由来でもあります。
それだけ秦の威勢がすごかったということです。
こうして、秦は末永く続きました。めでたしめでたし。
とはいかず、
統一からなんとわずか15年で滅びます。

550年もかかったのににゃ・・
厳しく急激な改革と、
戦争や大土木工事による負担が反発を招くなか、
始皇帝が永遠の命を求めて
水銀を飲みすぎたせいで亡くなると、(えっ)
陳勝・呉広の乱がおき、
それをきっかけとした大反乱により秦は滅びました。
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