東アジア・中央アジア史 高校世界史

【世界史】中国史をマンガみたいに超速攻略!⑭革命編

この記事は約7分で読めます。

 

 

今回は、ついに革命の時を迎え、

ついに「王朝」を失った激動の中国を攻略します。

 

「眠れる獅子」最後のあがき

義和団事件で地獄をみたことで、

よーーーーーやく清朝は国政改革派

つまり立憲君主派が主流となります。

 

あの光緒帝のもとで再び

かつて葬った変法運動路線の近代化(光緒新政)が行われ、

 

官制・学校制度の改革、殖産興業、西洋式陸軍の新軍創設

がなされます。

 

そして1905年、日本が日露戦争に勝利すると

その刺激により改革はさらに加速し、

 

科挙の廃止(1905)、

「大日本帝国憲法」がモデルの「憲法大綱」の公布と

国会開設の公約(1908)

がなされます。

  

マロ
マロ

いけそうな気がするにゃ

 

1911年には、とうとう責任内閣制が実施されるのですが、

 

ところがどっこい、ふたを開けてみれば、

満州人皇族・貴族が多数を占める

旧態依然のガッッッッッッッカリ内閣(貴内閣)でした。

 

(ちなみにこのときすでに光緒帝は崩御しています。享年37。

毒殺説が有力です。)

 

こうして、結局は皇帝専制政治の実質的な延命のための

方便として立憲政治を約束したにすぎないことが露呈しました。

 

マロ
マロ

がっかりだにゃ

 

このころ在野で立憲改革派の中心となっていたのは、

民族資本家とよばれる、

外国資本に対抗して中国人自身で企業経営をする

人たちでした。

 

彼らは紡績工業を中心に稼いだお金で、

鉱山採掘権鉄道敷設権を清のかわりに外国資本から買い戻すという

涙ぐましい努力(利権回収運)をしていました。

 

そんな彼らの期待をも、親貴内閣は踏みにじったのです。

 

孫文という漢

この国難のなかで、

のちに「国父」とよばれる

ある一人の漢が立ち上がりました。

 

その名も、孫文(1866~1925)。

 

彼は兄を頼ってハワイへ渡り、

アメリカ式の教育を受けたあと、

中国・香港へ帰国します。

 

そこで若き孫文は、

祖国の惨状を目の当たりにします。

 

漢・孫文、ここで

「救国に一生を捧げる!」

と決意します。

 

マロ
マロ

大した漢だにゃ・・

 

日清戦争中の1894年、ハワイにて

清朝打倒を目指す革命結社として興中会をつくります。

 

当時の中国は、新式学校・留学をつうじて

欧米や日本の実情に接した、

士大夫とはまた別の新知識人層がうまれていました。

 

やがて彼らは、革命により、

いつまでたっても旧態依然のダメダメ清朝を打倒して、

漢民族の主権国家をつくる必要があるとかんがえます。

 

このニューウェーブのなかで、

興中会以外にも、宋教仁の華興会など、

清朝打倒を目指す革命結社がつぎつぎと結成されます。

 

孫文はこれらを、

東京にて中国同盟会としてまとめ上げます(1905)。

 

つづけて、

「とうとうこれから清朝を倒すぞ!!!!」

という意気込みのもと、

 

三民主義(民族独立・民権伸長・民生安定)

という基本理念と、

 

それをさらに具体化した四大綱領をかかげます。

 

その内容は、

 

駆除韃虜だつりょ(満州族の清朝打倒

恢復中華(中国国民による中国の回復

創立民国共和国の樹立)

平均地権土地所有不平等の是正)

 

でした。

 

マロ
マロ

みんな4文字で統一されててキャッチーだにゃ

 

そして、機関誌「民報」も創刊して

ますます一丸となった中国同盟会は、

とうとう武装蜂起をします。

 

しかし、以後1906~1911まで何度も武装蜂起をするも、

どれも失敗してしまいました。

 

しかし、漢・孫文、こんなことでは燃え尽きませんでした。

  

辛亥革命

 

第一革命

 

閃光

 

ここで清朝、最後の大ポカをやらかします。

 

その名も、幹線鉄道国有化

 

民族資本家が必死の思いでせっせと

利権回収運動をしているさなか、

 

あろうことか清朝は、

列強からさらにまた借款をするための担保にするため、

民営鉄道の国有化を宣言したのです。 

 

この開いた口が塞がらないような仕打ちに、

とうとう堪忍袋の緒が切れました

 

もともと

銀流出→インフレ→民衆困窮→抗租・抗糧

という爆弾を抱えていたところに、

 

四川暴動。そして、

 

武昌新軍は武装蜂起して

清朝からの独立をも宣言(武昌起義)。

 

これが起爆剤となって

 

大!!!爆!!!発!!🔥🔥

 

なんと24省のうち14省が清朝からの独立を宣言しました。

 

火花散る中国大陸・南京に

革命派と独立各省の代表は集結

 

そして、漢・孫文を臨時大総統に選出し、

中華民国の建国を宣言して(1912.1.1)

南京に臨時政府を発足させました。

 

マロ
マロ

マロがこたつで丸くなってるころだにゃ

 

暗雲

 

このとき、一人の男がほくそ笑んでいました。

 

その名も袁世凱

清朝最強の北洋新軍を手兵として握る男です。

 

彼は清朝から、革命鎮圧のために

軍・政の全権を委任された内閣総理大臣に任命されます。

 

しかし、実は腹の中では

いつか自分が中国を支配してやろうと考えていた彼は、

清朝を裏切り、革命派に接近

 

清帝退位共和政実現を約束する代わりに、

孫文ではなく自分が臨時大総統に就任するという密約を交わします。

 

この袁世凱、実はかつて光緒帝をも裏切り

戊戌の変法を潰した張本人でした。

 

その袁世凱が、こんどは

ラストエンペラー宣統帝溥儀に退位を強要します。

 

マロ
マロ

とんだ裏切り者だにゃ

 

こうして、なんとも煮え切らない形で、

清朝は滅亡しました(1912)。

 

第二革命

 

孫文は裏切り者・袁の野心を警戒し、

臨時大総統の権限を制限するため、

暫定憲法として「臨時約法」を成立させます。

 

しかし袁世凱、ある意味さすがというべきか、

なかなか首都南京に赴かず、

自分の根拠地・北京に居座り続けるという、

さっそくの裏切りをかまします。

 

そこで孫文ら革命派は、

議会で多数派を占めて政権を奪取することとし、

中国同盟会を中心に、国民党を結成します。

 

そして中国初の国会選挙で見事圧勝し、

国民党は第一党となりました。

 

それに対し袁世凱は、

列強から巨額の借款をして懐を温めつつ、

なんと国民党指導者の宋教仁を暗殺し、

国民党を弾圧します。

 

マロ
マロ

悪魔のようなヤツだにゃ

 

これを受けて国民党は準備不足のまま

武装蜂起をおこします(第二革命)が、

袁世凱はこれを鎮圧します。

 

そして、

正式大総統就任、国民党解散、さらに

大総統(つまり自分)の権限を大幅に拡大した

「新約法」を強行します。

 

孫文ら革命派はやむなく海外亡命しますが、

漢・孫文、折れません。

孫文は東京で中華革命党を結成し、革命再建をめざします。

 

第三革命

 

こうして独裁体制を完成させようとする

袁世凱は、帝政運動をすすめ、

帝政復活を宣言します。

 

しかし袁世凱、やはり調子に乗りすぎました。

時代に逆行する蛮行に国内外から猛反発がおこります。

 

列強は安定的に中国から利権をむさぼりたいので、

これ以上政情が混乱しないよう、

帝政に反対する声明を発表します。

 

国内でも、雲南をはじめ各地で武装蜂起が続発しました(第三革命)。

 

予想外の猛反発に抗しきれず、

袁世凱は帝政を取り消しし、

失意のうちに病死します。

 

こうして中国は統一政権のないまま、

北洋軍閥などの軍閥による分裂状態に陥ります。

 

武力による野蛮な支配をする軍閥と、

それを利用する列強とによって、

革命の後の世界には、大惨事がひろがっていました・・

 

次号、混迷する中国!男と漢の遺産

コメント

タイトルとURLをコピーしました