東アジア・中央アジア史 高校世界史

【世界史】マンガみたいに超速攻略!中国史⑪~清編②~

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今回は、光り輝く大清帝国に迫りくる

「巨大な影」を攻略します。

 

清の動揺

 

国内の矛盾

 

あいつぐ戦争による財政難官僚の腐敗貧富の差の拡大

というお決まりの流れに清もなります。

 

さらに人口も、1740年の1.4億から、なんと数字が反転。

100年で4.1億にまで爆発的に増えます

 

これにより土地・食料は不足し、

華北から豊かな華南への移住(客家はっか)や、

東南アジアなどへの国外移住(華僑かきょう)がすすんだ他、

 

抗租・抗糧(「減税しろ!納税せんぞ!」運動)や

(しぶとく生き残っていた)白蓮教徒の乱

などの民衆の反乱が、

乾隆帝の後期には増大しました。

 

この鎮圧に際して、

肝心の清正規軍の八旗・緑営は苦戦し、腐敗がバレます。

かわりに活躍したのは、

漢人による地方自衛軍郷勇でした。

 

このなかで、「やっぱ漢人よ!」とばかりに、

反清復明を唱える政治的秘密結社(会党)も

盛んに活動しました。

 

西欧の衝撃ウエスタン・インパクト

 

マロ
マロ

清もそろそろやばそうだにゃ

 

ヤマ
ヤマ

これより遥かにとんでもないことが起きちゃうよ

 

その名も、「ウエスタン・インパクト」(西欧の衝撃)。

 

殷周東周・・と連綿と続いたながーーーーーーいこと

謎の安心感すらあったお決まりの流れをくりかえしてきた

中国の伝統社会は、根底からひっくり返されます。

 

圧倒的な軍事力・経済力欧米列強により、

中国はケーキ🎂のように食い荒らされ(半植民地化)、

 

中華思想どころじゃないこの大大大ピンチのなかで、

近代への扉を無理やりこじ開けさせられたのです。

 

アヘン戦争

 

清はまず、アヘン戦争・アロー戦争という

ダブルパンチに見舞われます。

 

背景

 

ここで、前回やったイギリスとの貿易を、

イギリスの側から見てみましょう。

 

当時、茶が大ブーム☕を巻き起こしていたイギリスでは、

中国茶の輸入が急増しましたが、

 

中国側が欲しいと思うようなものが

イギリスに無かったので、(・・・)

を代価としました。

 

お茶☕なんて胃袋に入ったらそれでおしまいなので、

たのしいたのしいティーパーティーをたくさん開いて、

ふと気が付けば、貴重な銀が中国へと大量流出しちゃった⭐☕

てなことになりました。

 

このころちょうど最大の植民地アメリカを失い、

貴重な金ヅルならぬ銀ヅルを失ったことで、

イギリスはさらに苦しみます。

 

そこでイギリスは18世紀末から、

とんでもなくエグい手を使います。

 

人を廃人にする恐ろしい麻薬のアヘンを、

銀の代わりに売りつけてやろうと考えたのです。

 

そこでイギリスは、

 

①植民地のインドアヘン栽培。

 

→②イギリス本国の綿製品産業革命で大量生産するも、

中国から「イラネ」とつきかえされた)を代価に、インドからアヘンを買う。

 

→③このアヘンを中国に売りつけ、を手にいれる。

 

という、綿製品も売りつけつつ茶もゲット!する

上手いシステム(三角貿易)をはじめます。

 

アヘンの悪習が広まると、当然清はこれを取り締まりますが、

アヘンの密輸はどんどん増大し、

 

1830年代になるとついに、

アヘンを手にいれるために逆に

中国から銀が大量流出するようになりました。

 

衝突

 

そこで清の欽差大臣林則徐は1839年、

とうとう強硬策にでます。

  

(唯一の貿易窓口の)広州

アヘンの大量没収・焼却をしたうえで、

アヘン貿易をやめないなら一般貿易もしてやらないぞ!

とイギリスに迫ったのです。

 

アヘンをやめれば三角貿易そのものが崩れてしまいますから、

イギリスは困ります。

 

またちょうどこのころ、

東インド会社による中国貿易独占権が廃止され(1834)、

貿易自由化の要求がますます高まっていました。

 

そこでイギリスはまたエグい手を使います。

 

武力で無理やり自由貿易を実現させようとしたのです。

 

こうして1840年に起きたのがアヘン戦争です。

 

イギリスは圧倒的な武力で清をねじ伏せ、

あっという間に北京の外港である天津にまでに迫ります。

 

あわてた清は、なんとか停戦しようと、

めちゃくちゃ不利な南京条約をしぶしぶ結びました。

 

(この散々な有様の中国では、のちに中国で盛んになる、

民族主義的な排外・抵抗運動のさきがけである、

反イギリスの民衆暴動(平英団事件)がおきました。)

 

講和

 

清を束縛する鎖⛓の一本目、南京条約(1842)の内容は、

 

香港島の割譲

5港上海・寧波・福州・厦門(アモイ)・広州の開港

公行の廃止による完全自由貿易化

④多額の賠償金

 

というものでした。

 

ヤマ
ヤマ

「自由」というと聞こえはいいけど、

要は、弱者を守る盾をぜんぶ取っ払って、

おれたち強者が「自由自在」にやりたい放題できるようにしろ!

というのが本音なのです。

 

さらにダメ押しの虎門寨(こもんさい)追加条約(1843)は、

 

領事裁判権

協定関税(関税自主権の喪失)

片務的最恵国待遇

 

を内容とする不平等条約でした。

 

ここで、南京条約がいかに不平等かということを説明しましょう。

まず①は、

中国国内のイギリス人犯罪者を、中国人ではなくイギリス人が裁く

(ただし逆はゆるさねーよ⭐)

というものです。

 

②は、関税を決めるときは、必ずイギリスの同意がないとダメ

(ただし逆はゆるさねーよ⭐)

 

③は、清がイギリス以外の国Aと条約を結んだとして、

もしAがイギリス以上に有利な要素をゲットしたなら、

それをイギリスにも認めろ

(ただ逆⭐)

 

マロ
マロ

・・・・

 

さらに同様の不平等条約として、

アメリカ望厦ぼうか条約

フランス黄埔こうほ条約

も結ばされました。

 

さらにイギリスは、上海など開港場の土地を借ります

(ただし返すとは言っていない)

 

これを租借といい、

借りた土地は事実上のイギリス領のようになり

租界(租借によって得た領域)とよばれます。

 

アロー戦争

 

ただアヘン戦争後も、

清朝の排外的姿勢や、

中国経済が自給自足的で外国が入り込むスキが少なかったりして、

意外と列強は儲けられませんでした。

 

そこで列強は、

なんとか口実をつくって戦争をして、

無理やり言うことをきかせてやろうと企みます。

 

そんなときちょーーーど起きたのが、

アロー号事件フランス人宣教師殺害事件でした。

 

顔で怒り心はニヤケながら、

英仏アロー戦争をしかけます。

 

またボロ負けしてまた天津まで迫られた清は、

さらなる鎖⛓・天津条約を結ばされます。

その内容は、

 

①各国公使の北京駐在

キリスト教の信仰・布教の自由

③外国人の中国内地旅行の自由

開港場の増加(内陸港など)

賠償金の支払い

 

でした。

 

ヤマ
ヤマ

③旅行と言っても、

「4000年の歴史をもつ悠久の中国を

どうしても見て回りたいデース!」

と英仏人がゴネたわけではありません。

 

「旅行」という名目で中国中を歩き回り、

ヨーロッパの商業・宗教などの刷り込み・金儲け

しようと企んだのです。

 

わざわざ内陸港を開かせたのも、このためです。

 

これにロシアアメリカも便乗しました。

 

しかしこの後、

天津条約の批准書交換のために北京に乗り込もうとした

英仏船を、清が砲撃します。

 

再開されたアロー戦争。

しかし結果はお察しの通り。

 

1860年、英仏は北京を占領し、

円明園の破壊という蛮行も働きます。

 

大大ピンチの清に助け舟を出したのは、

あの康熙帝以来のライバル・ロシアです。

 

マロ
マロ

アツい展開だにゃ

 

 

ロシアの仲介のもと、

英仏と北京条約を結んで停戦します(1860)。

 

これは、天津条約の内容にくわえ、

 

天津など11港の開港

②香港対岸の九竜半島の一部をイギリスの割譲

賠償金アップ⭐ 

 

というダメ押しのものでした。

 

マロ
マロ

まあ、滅びるよりはマシだにゃ

ロシアのおかげだにゃ

 

ただし、勘違いしてはいけないのは、

ロシアがいい人というわけでは決してないということです。

 

このときの見返りに

露清北京条約をむすび、

ウスリー江以東の沿海州を獲得しました。

 

この沿海州がロシアの真の狙い

英仏に清をゴッソリ奪われるくらいなら、

清を生き残らせ、

どさくさに紛れて利権をかっさらおうと考えたのでした。

 

さらに実は、1858年、どさくさに紛れて

アルグン川・黒竜江以北の地をロシア領とし、

沿海州を露中の共同管理とする

アイグン条約を結んでいました。

 

マロ
マロ

だまされたにゃ!

 

ヤマ
ヤマ

氷の帝国❄ロシアは、とにかく不凍港を欲します。

沿海州獲得によってロシアは、

冬以外凍らない極東の拠点として

ウラジヴォストーク港を建設できました。

 

こうして列強に踏み荒らされたは、

もうさすがに昔のように

朝貢だのとふんずり返っていられなくなり、

総理衙門がもんという初の外務官庁をつくりました。

 

アロー戦争後、

アヘンは完全に合法化され、

無関税ゆえに安価な外国製品が大量流入して、

木綿工業などの伝統産業は大打撃をうけます。

 

ヤマ
ヤマ

安価な外国製品が流入」すると、

いかにイヤな国の製品でも、

どうしても庶民は買ってしまいます。

 

産地がパッと見で分からなければなおさら

安いほうを買ってしまいますよね。

 

だから、関税のぶん高い中国製品は

全然売れなくなってしまったのです。

 

租界も、上海だけでなく

広州・天津・厦門などにも設置されてしまい、

絶品ホールケーキ🎂清の食い荒らし(半植民地化)は

ますます進むのでした。

 

次号、さらなるトリプルパンチパンチ!太平天国の乱と清仏・日清戦争編

 

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