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【世界史】中国史をマンガみたいに超速攻略!①黄河文明・殷・周編

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こんにちは!ヤマです。

今回から、

中国史をマンガみたいに超速攻略していきます!

 

マロ
マロ

がんばるにゃ!

 

黄河文明

 

中国のはじまりといえば黄河文明

まずはこれを土器で区分します。

 

なんでかって?

考古学者が遺跡から発掘したものから

文字も残っていないむかーーーーしのことを想像するのだから、

土器くらいしか区分の基準にできないんです。

 

黄河文明の土器は

彩陶黒陶(③灰陶

三つだけです。

(全部に「」がついていて覚えやすいですね。)

 

さらにその中で時代区分に関わるのは、

①②の二つだけ!

 

そして、

①→河南省の仰韶村で最初に発見されたから、仰韶文化

②→山東省の竜山鎮で最初に発見されたから、竜山文化

 

①→②の順に発展しました。(②は薄手で、①より技術が高度)

 

邑ゆう

 

②の後期から、人々の集落が大きくなっていき、

それらはゆうと呼ばれます。

 

この邑同士が争います。

そしてその覇者が王朝を作りました。

 

マロ
マロ

いつの世も戦乱だにゃ

 

つまり邑は、素朴な土器の時代と王朝の時代とを結びつける

接着剤みたいなものです。

 

身内の血縁による集まりだった邑が、

戦いの中で城郭都市へと成長し、

やがて王朝となったのです。

 

王朝のはじまり

 

伝説では、三皇五帝王朝などがありますが、

ひとまず、最初の中国王朝は

いん(前16C~前11C)だと覚えておけばオッケーです。

 

古代王朝ってのは占いが大好き

今みたいな科学技術のない時代だから、

とにかく天災に生活を左右されます。

 

だから、殷も例にもれず、

亀のや牛ので占いました。

 

その甲や骨に刻まれたものをそのまま

甲骨文字と呼びます。

 

この占いのトップを、

政治のトップである王が兼務したのです(祭政一致)。

 

こう書くと王が絶対的存在のように見えるかもしれませんが、

実際は殷はまだ邑の連合体にすぎません。

 

殷の都は転々としたのち、に定まり、

滅亡までの300年間ずっと商が都でした。

 

この商の遺跡が現代の河南省安陽市にて発見されて、

それによって殷の実在が証明されたという経緯から、

商のことを殷墟とも呼びます。

 

技術も竜山文化の黒陶からさらに発展し、

殷後期には青銅器が発達しました。

 

周しゅう:血縁と封建

 

前11C、有力な邑であった武王

殷の暴君を破り、殷を滅ぼします。

 

このような王朝交代のことを、

天子の(かわ)ることから、

易姓革命といいます。

 

この周王朝(都:鎬京こうけい)は、

殷と同じく色々な邑の盟主なのですが、

殷が邑の連合を間接的に支配して失敗したことを知っています。

 

そこで、同じ轍を踏まないように、

周は王が力をギュッと握る

封建」という仕組みを用いました。

 

これは一言でいえば「ギブアンドテイク」。

くわしい中身はこうです。

 

周王の一族に領地を封土として与え、世襲させて諸侯とします。

という称号も諸侯にあげます。

 

諸侯はその見返りとして、

貢納軍事奉仕の義務を負います。

 

つまり、

土地と名誉とをやるから、金と兵士とをよこせ!

というわけです。

 

諸侯は諸侯で、

卿・大夫・士などの世襲の家臣と「封建」関係を結びます。

 

つまり、

周王と諸侯

諸侯と卿・大夫・士

とがそれぞれ封建関係を結ぶという

重層的な支配体制だったのです。

 

ここで一つ注意。

この「封建」という言葉、日本やヨーロッパにも出てきますが、

周の場合は契約や意志によるものではなく、

血縁に基づくものです。

 

この血縁が周ではとにかく大事です!

 

おなじ血縁集団を宗族とよび、

そのなかで宗法というルールや、

なにが道徳的がという規準としてのをもとに、団結します。

 

つまり周代には

身内でガチガチに固めようとしたのです。

 

つまり、

封建制のなかにいる人々全体をおっきな宗族のようにして、

周王はそのトップに立ったのです。

 

でも、よく考えてみてください。

これ、上手くいくはずないですよね?

 

マロ
マロ

え・・どういうことだにゃ・・?

 

現代日本だって、

たとえばおじいちゃんのおじいちゃんが田舎から上京して、

いまは東京に住んでいるという人が、

その田舎に強いゆかりを感じているでしょうか

 

あんな広い中国ではなおさら

 

方々に身内を置いても、

時間がたてばどんどん血が薄くなっていき、

それぞれの土地ごとでのつながりを強めてしまいます(地縁)。

 

こうして諸侯が自立しつつあるなか、

異民族の犬戎けんじゅうに都を落とされ、

周は東へと逃れ、洛邑を新しい都とします(周の東遷)。

 

これにより周王はさらに権威を落とし

諸侯はますます自立化するように・・

 

こうして時代は

群雄割拠の春秋戦国時代へと

移り変わってゆくのです・・!!

 

(弱体化後の周は東周とよばれます)

 

次号、いよいよキングダムの世界へ!春秋戦国時代編

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